井上流(砲術)(読み)いのうえりゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「井上流(砲術)」の意味・わかりやすい解説

井上流(砲術)
いのうえりゅう

近世砲術の一流派。流祖は井上外記正継(げきまさつぐ)(?―1646)。外記流ともいう。正継は播州(ばんしゅう)英賀(あが)の城主井上九郎左衛門正信(まさのぶ)の孫で、通称は九十郎。稲富(いなとみ)流はじめ諸流を修めてこれに創意工夫を加えて一派を開いた。1614年(慶長19)大坂の陣に酒井雅楽頭忠世(うたのかみただよ)の組に属して大筒を預かり、その功によって采地(さいち)500石を与えられた。35年(寛永12)幕命によって従来の大筒に改良を加え、南蛮銅を用いて各種鉄砲100余丁を作製した。これらは目方も10分の1、操作も容易で、射程も8町から40町(約4キロメートル)に及び、命中精度も良好であった。38年御鉄炮(おてっぽう)御用役に任じられ、与力5騎、同心20人を預けられ、500石加増、1000石を領した。『武極集』『玄中大成集』『遠近智極集』の三部書をはじめ多数の著述がある。46年(正保3)同役の稲富喜大夫直賢(なおかた)と術技のうえで確執を生じ、同年8月15日小栗長右衛門宅における和解の席上、口論刃傷(にんじょう)に及んで横死した。1666年(寛文6)正継の養子左大夫正景(さだゆうまさかげ)(1618―83)が召し返されて御鉄炮役に復し、以後幕末まで子孫相次いでこの流儀を伝えた。

[渡邉一郎]

『『寛政重脩諸家譜』第4(1964・続群書類従完成会)』

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