井上正岑(読み)いのうえ・まさみね

朝日日本歴史人物事典 「井上正岑」の解説

井上正岑

没年享保7.5.17(1722.6.30)
生年承応2(1653)
江戸中期大名。正任と本多忠義の娘の子。元禄6(1693)年9月遺領を襲い,美濃国(岐阜県)郡上藩4万7000石の藩主となる。8年12月奏者番,以後寺社奉行兼帯(1696年10月),若年寄(1699年10月)を経て宝永2(1705)年9月から享保7(1722)年5月まで,7代将軍徳川家宣,8代将軍徳川吉宗の2代にわたり老中を務めた。この間,元禄10年には丹波国亀山(京都府),15年には常陸国(茨城県)下館5万石,同年笠間転封。享保3年加増にて6万石を領する。元禄10年から始まった元禄の国絵図調製事業では,総裁として指揮をとった。

(泉正人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上正岑」の解説

井上正岑 いのうえ-まさみね

1653-1722 江戸時代前期-中期の大名。
承応(じょうおう)2年生まれ。井上正任(まさとう)の次男。母は本多忠義の娘。元禄(げんろく)6年美濃(みの)(岐阜県)八幡(はちまん)藩主井上家2代。丹波亀山藩(京都府)藩主をへて15年常陸(ひたち)(茨城県)笠間(かさま)藩主井上家第2次初代。宝永2年老中。享保(きょうほう)7年5月17日死去。70歳。初名は正通。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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