井上因碩(4代)(読み)いのうえ・いんせき

朝日日本歴史人物事典 「井上因碩(4代)」の解説

井上因碩(4代)

没年:享保4.12.7(1720.1.16)
生年:正保3(1646)
江戸中期の囲碁棋士。名人。本姓桑原,道節と号した。美濃大垣の生まれ。本因坊道策門下とされるが,年齢は1歳違い。元禄3(1690)年,2代井上因碩(道砂)の養子となり跡目。同9年,3代因碩(後年4代と系図書き変え)を継いだ。同15年,道策の遺言で5世本因坊道知の後見と「碁所を望まぬ」ことを頼まれる。しかし,宝永5(1708)年名人となり,7年免状発行に際し碁所となった。井上家で,中村道碩,幻庵因碩と並ぶ。同家ただひとりの名人で名人因碩と呼ばれる。名著『囲碁発陽論』がある。<参考文献>大平修三『道的・名人因碩』(日本囲碁大系)

(谷口牧夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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