井上友一(読み)いのうえともいち

改訂新版 世界大百科事典 「井上友一」の意味・わかりやすい解説

井上友一 (いのうえともいち)
生没年:1871-1919(明治4-大正8)

明治・大正期の内務官僚法学博士。金沢藩士の家に生まれ,四高,東京帝大法科卒業後内務省に入る。主に県治局,地方局に勤務し地方行政に取り組む。1900年公私救済事業万国会議に出席のためにパリに出張し,各地の救済事業を視察した。06年内務書記官,08年神社局長となる。日露戦争後は内務省による地方諸団体の指導監督と町村財政強化を目指した地方改良運動推進し,改良事業講習会などを通じ町村の中堅人物育成にも努めた。これらは,その後の日本社会事業成立の起因となった。東京府知事在職中に病死
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「井上友一」の意味・わかりやすい解説

井上友一
いのうえともいち
(1871―1919)

救済・社会事業行政に貢献した内務官僚。法学博士。石川県金沢市に生まれる。東京大学法科卒業後、内務省に入り、主として地方行政を担当。1900年(明治33)にパリで開催された万国公私救済事業会議に出席、各国の救済事業を視察した。地方改良の諸事業、感化救済事業講習会の開催など、社会事業行政への内務省における推進役として働いた。神社局長などを経て、1915年(大正4)に東京府知事となった。当時の社会問題の激化、1917年の風水害、とくに1918年の米騒動にあたっては公設市場簡易食堂、日用品の廉売など経済保護事業を促進した。開明的な官僚であったが、公的救助義務主義に終始反対する立場をとった。主著『救済制度要義』は名著として知られる。

[小倉襄二]

『『戦前期社会事業基本文献集19 救済制度要義』(1995・日本図書センター)』


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朝日日本歴史人物事典 「井上友一」の解説

井上友一

没年:大正8.6.12(1919)
生年:明治4.4.10(1871.5.28)
明治大正時代の地方行政を専門とした内務官僚。金沢藩士井上盛重の長男。号は明府。第四高等中学校を終え,明治26(1893)年帝大法科大学を成績抜群で卒業。同年内務省県治局勤務。33年フランスのパリでの万国公私救済慈恵事業会議に出席。38年報徳会創設に参加。41年神社局長,42年法学博士の学位取得。大正4(1915)年明治神宮造営局長を兼任,同年7月東京府知事に就任した。慈善協会を設立し,救済委員制度などの社会福祉事業に尽くした。<著作>『都市行政及法制』<参考文献>近江匡男編『井上明府遺稿』

(木野主計)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上友一」の解説

井上友一 いのうえ-ともかず

1871-1919 明治-大正時代の官僚。
明治4年4月10日生まれ。26年内務省にはいり,地方改良運動と感化救済事業を推進。大正4年東京府知事となり,7年の米騒動の際,公設廉売市場や簡易食堂を開設した。大正8年6月12日死去。49歳。加賀(石川県)出身。帝国大学卒。名は「ともいち」ともよむ。著作に「救済制度要義」「自治要義」。

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