精選版 日本国語大辞典 「井上剣花坊」の意味・読み・例文・類語
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
川柳作者。山口県生れ。本名幸一。幼少のころ,廃藩置県の大変革で家運衰え,独学で小学校の教員となる。その余暇に神代大介の遊竜塾に学び塾頭を務める。のち東京へ遊学したが病を得て萩に戻り再び小学校教員を経て新聞記者となる。1902年《越後日報》より招かれて主筆となったが,翌年退社。三たび上京,新聞《日本》の記者となり,古島一雄主筆のすすめに従って《柳樽》の新しい形をめざした川柳を掲載した。そのかたわら,正岡子規などの俳句運動に刺激を受け新川柳運動を起こす。のち柳樽寺川柳会を組織,機関誌を刊行。〈咳一つ聞えぬ中を天皇旗〉などの句があり川柳中興の祖と仰がれる。晩年はプロレタリア川柳を推し進めようとした。
執筆者:神田 仙之助
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…しかし狂句人口は増加し,江戸を中心に,北は山形,米沢へ,東は相模,松本,名古屋,飛驒,京,大坂に拠点ができ,全国的な支持を受けて広まったが,やがて知的遊戯におちた狂句をきらい,初代の古川柳への復古をとなえる明治の新川柳運動の標的にされることになる。雑俳(ざっぱい)【鈴木 勝忠】
[近代の川柳]
1903年(明治36)井上剣花坊,阪井久良伎(くらき)の,川柳は《柳多留》(初編)に戻れという提唱で近代川柳は始まる。2人はそれぞれ《日本》《電報》両新聞に拠って普及につとめた。…
※「井上剣花坊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新