井上ひさし(読み)イノウエヒサシ

デジタル大辞泉 「井上ひさし」の意味・読み・例文・類語

いのうえ‐ひさし〔ゐのうへ‐〕【井上ひさし】

[1934~2010]小説家劇作家。山形の生まれ。本名、ひさし。独自のユーモア感覚と鋭い風刺で幅広い読者層を得る。「手鎖心中」で直木賞受賞。昭和58年(1983)劇団こまつ座の座付作者となる。他に、小説「青葉繁れる」「吉里吉里人きりきりじん」、戯曲頭痛肩こり樋口一葉」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「井上ひさし」の意味・わかりやすい解説

井上ひさし
いのうえひさし
(1934―2010)

放送作家、劇作家、小説家。本名廈(ひさし)。山形県東置賜(ひがしおきたま)郡小松町(現、川西町)に生まれる。父は薬剤師であり、また『サンデー毎日』の大衆文芸コンクールの常連入選者でもあったが、5歳のときに死亡。美容師の母と岩手県一関(いちのせき)、そして仙台に移住し、のちに井上は中学生のときに仙台郊外のカトリック系養護施設「光ヶ丘天使園」に入り、映画に熱中した。仙台第一高校生徒のころカトリックの洗礼を受け、1953年(昭和28)に上智(じょうち)大学ドイツ文学科に入学したが、のちにフランス文学科に転科した。浅草のストリップ劇場の進行係兼文芸部員のアルバイトを経験し、浅草喜劇やコントに強い興味を抱き、自分から戯曲やシナリオを積極的に書くようになる。

 1958年処女戯曲『うかうか三十、ちょろちょろ四十』で芸術祭脚本奨励賞受賞。放送作家として認められた。大学卒業後も倉庫番をしながら台本を書き続け、NHK総合テレビでの連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』(1964)の台本を山元護久(もりひさ)(1934―1978)と共作し、その現代的で軽快な笑いが全国の視聴者に広く支持された。続いて劇団テアトル・エコーが演じた『日本人のへそ』(1964)も好評で、新劇界の鬼才と評された。また長編小説『ブンとフン』を処女出版し、NHKテレビの連続人形劇『ネコジャラ市の十一人』の台本を書き、同時にミュージカル喜劇『表裏源内蛙合戦(おもてうらげんないかえるがっせん)』や『道元(どうげん)の冒険』(いずれも1970)を次々に発表し、この2作で岸田戯曲賞を受賞。またユーモア小説『モッキンポット師の後始末』(1971)に続いて、江戸時代の戯作者たちをコミックに描いた小説『手鎖(てぐさり)心中』(1972)が評価されて第67回直木賞を受賞する。さらに新しい風刺と笑いの境地を開拓した戯曲『珍訳聖書』『天保十二年のシェイクスピア』(ともに1973)、長編小説『青葉繁(しげ)れる』(1973)などを発表。1976年にオーストラリアの大学で客員教授を務め、帰国後発表した戯曲『喜劇役者たち』(1977)、『しみじみ日本・乃木大将』(1979)、『小林一茶(いっさ)』(1980)や小説『戯作(げさく)者銘々伝』(1979)、『下駄(げた)の上の卵』(1980)なども好評だったが、それに続いた長編小説『吉里吉里(きりきり)人』(1982。日本SF大賞、読売文学賞)の完成は話題をよんだ。東北の一寒村に出現した吉里吉里共和国の独立騒動に三流作家が巻き込まれるという書き出しは井上一流のユーモアにあふれているが、吉里吉里共和国は現実の日本に対する反国家であるというブラックユーモアに含まれた批評精神が注目された。同じころ書かれたエッセイ集『私家版日本語文法』(1981)も同じモチーフによる中央集権的な日本に対する批判である。

 その後も、戯曲、小説などで活発に活動を続けた。戯曲では、『頭痛肩こり樋口一葉(ひぐちいちよう)』(1984)、『きらめく星座』(1985)、『人間合格』(1990)、『紙屋町さくらホテル――最新戯曲集』(2001)や『井上ひさし全芝居』1~5巻(1984~1995)などをまとめる。小説に『不忠臣蔵』(1985)、『四千万歩の男』(1990)、『百年戦争』(1994)、『東京セブンローズ』(1999)などがある。そのほか評論等に『井上ひさしのコメ講座』(1989)、『本の運命』(1997)、『井上ひさしの農業講座』(1997)、『新・日本共産党宣言』(1999、不破哲三共著)、『にほん語観察ノート』(2002)などがあり、活動領域は多分野に及ぶ。

 なお、1987年(昭和62)には、彼の郷里である山形県川西町に約7万冊の蔵書を寄贈し(その後13万冊に増加)、図書館「遅筆堂文庫」が開館された。1994年(平成6)には、この「遅筆堂文庫」と演劇ホール、町立の図書館が一体となった川西町フレンドリープラザがオープンした。この文庫を拠点に1988年からは、「生活者大学校・農業講座」が開講されている。日本劇作家協会会長、日本ペンクラブ会長などを務めた。2004年文化功労者。平成22年死去。

[松本鶴雄]

『『天保十二年のシェイクスピア』(1973・新潮社)』『『井上ひさし全芝居』全5冊(1984~1994・新潮社)』『『人間合格』(1990・集英社)』『『井上ひさしの農業講座』(1997・家の光協会)』『『井上ひさしジュニア文学館』1~11(1999・汐文社)』『不破哲三・井上ひさし著『新・日本共産党宣言』(1999・光文社)』『『紙屋町さくらホテル――最新戯曲集』(2001・小学館)』『『夢の裂け目』(2001・小学館)』『『にほん語観察ノート』(2002・中央公論新社)』『『モッキンポット師の後始末』『ナイン』『四千万歩の男』全5巻『百年戦争』上下(講談社文庫)』『『ブンとフン』『表裏源内蛙合戦』『道元の冒険』『珍訳聖書』『下駄の上の卵』『私家版日本語文法』『吉里吉里人』上中下『しみじみ日本・乃木大将』『コメの話』(新潮文庫)』『『手鎖心中』『青葉繁れる』『本の運命』『東京セブンローズ』(文春文庫)』『『戯作者銘々伝』『小林一茶』(中公文庫)』『『不忠臣蔵』『頭痛肩こり樋口一葉』『きらめく星座』(集英社文庫)』『『ひょっこりひょうたん島』第1期全13巻(ちくま文庫)』『桐原良光著『井上ひさし伝』(2001・白水社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「井上ひさし」の意味・わかりやすい解説

井上ひさし
いのうえひさし

[生]1934.11.16. 山形,小松
[没]2010.4.9. 神奈川,鎌倉
劇作家,小説家。本名井上廈(ひさし)。上智大学在学中に浅草フランス座で働きながら戯曲や放送台本などを書きはじめた。大学を卒業後は放送作家として活躍し,1964年に始まった日本放送協会 NHKのテレビ連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』の台本を共作する。戯曲『日本人のへそ』(1969)が新しい喜劇として注目され,本格的に劇作に取り組む。『表裏源内蛙合戦』(1970),『道元の冒険』(1971,岸田国士戯曲賞,芸術選奨文部大臣新人賞)で劇作家としての地位を確立。小説では,『手鎖心中』(1971)で直木賞,『吉里吉里人』(1981)で日本SF大賞,読売文学賞を受賞。作品は,巧みな構成と豊かな言語センスを特徴とする。1984年に自作の戯曲を上演するこまつ座を旗揚げし,『頭痛肩こり樋口一葉』(1984)など力作を次々と上演。戦争の真実を問う東京裁判(極東国際軍事裁判)三部作『夢の裂け目』(2001),『夢の泪』(2003),『夢の痂(かさぶた)』(2006)が 2010年4月から新国立劇場で連続上演された。日本ペンクラブ会長(→国際ペンクラブ),日本劇作家協会会長などを歴任。1999年菊池寛賞,2009年日本芸術院賞恩賜賞など受賞多数。2004年文化功労者,2009年日本芸術院会員。

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百科事典マイペディア 「井上ひさし」の意味・わかりやすい解説

井上ひさし【いのうえひさし】

小説家,劇作家。山形県生れ。上智大学卒。在学中から放送台本などに手を染め,卒業後放送作家として活躍。NHKテレビの人形劇《ひょっこりひょうたん島》(山元護久と共作)が人気を集めた。戯曲では1969年初演の《日本人のへそ》が高く評価され,以後本格的に劇作家として活動。1971年,《道元の冒険》で第22回芸術選奨文部大臣賞新人賞と第17回岸田国士戯曲賞を受賞。以後,《珍訳聖書》《藪原検校》《しみじみ日本・乃木大将》《小林一茶》《頭痛肩こり樋口一葉》などの話題作を次々に発表した。また小説でも,1972年《手鎖心中》で第67回直木賞を受賞,《モッキンポット氏の後始末》などで広く読者を得た。その他《吉里吉里人》《腹鼓記》《不忠臣蔵》など。劇団こまつ座を主宰。芸術院会員。文化功労者。
→関連項目朝倉摂軽演劇森毅

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上ひさし」の解説

井上ひさし いのうえ-ひさし

1934-2010 昭和後期-平成時代の小説家,劇作家。
昭和9年11月17日生まれ。山元護久(やまもと-もりひさ)と共作のNHKテレビの人形劇「ひょっこりひょうたん島」で注目される。昭和47年「道元の冒険」ほかで「新劇」岸田戯曲賞,同年「手鎖心中」で直木賞。「吉里吉里人」で56年日本SF大賞,57年読売文学賞。59年こまつ座を結成し座付作者。国語問題に関心がふかく,戦後日本語のローマ字化に反対して日本語をまもった女性たちをえがいた「東京セブンローズ」ほかで平成11年菊池寛賞。15年毎日芸術賞。同年日本ペンクラブ会長。16年文化功労者。21年戯曲を中心とする広い領域における長年の業績で芸術院恩賜賞。同年芸術院会員。22年読売演劇大賞芸術栄誉賞。平成22年4月9日死去。75歳。山形県出身。上智大卒。本名は廈(ひさし)。作品はほかに「私家版日本語文法」「四千万歩の男」など。

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世界大百科事典(旧版)内の井上ひさしの言及

【軽演劇】より

… しかし一方,戦後,軽演劇にとってかわった形で庶民の娯楽として全盛をきわめたストリップショーのコントの中から,あらたな軽演劇の人材が育った。たとえば,一時期の浅草フランス座には,戦前からのベテランの佐山俊二のほか,渥美清(1928‐96),関敬六,谷幹一,南利明,八波むと志,作家の井上ひさし(1934‐ )といった,若い才能が集まっていた。また由利徹は〈ムーラン・ルージュ〉解散後は新宿セントラルなどに出演していたし,三波伸介(1930‐82),戸塚睦夫は新宿フランス座の出身である。…

※「井上ひさし」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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