五百蔵城跡(読み)いおろいじようあと

日本歴史地名大系 「五百蔵城跡」の解説

五百蔵城跡
いおろいじようあと

[現在地名]香北町五百蔵

集落南東にあたる河岸段丘の先端部、東は天川あまごう谷、南は物部ものべ川の断崖に臨む要害の地にあった城で、戦国時代の土豪五百蔵氏の居城。ほぼ東西七〇間、南北六〇余間の規模で、幅五間、長さ一町ばかりの空濠が二ヵ所に設けられていた。現在城跡はすべて水田となり、城詰跡の小字しろには八幡宮の祠が残る。天正一六年(一五八八)の韮生谷地検帳には「詰ヤシキ二十代」の隣に「城ヤシキ」「(ママ)ノキト」「二ノ塀」が続き、近くには「古殿ヤシキ」もみえる。みな五百蔵氏の給地とあるが、すでに二ノ塀は上田・上々田になり、「古殿ヤシキ」も畠となり、一隅に無姓者が住んでいる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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