二見浦(読み)フタミガウラ

デジタル大辞泉 「二見浦」の意味・読み・例文・類語

ふたみ‐が‐うら【二見浦】

三重県中東部、伊勢市の海岸。伊勢湾に面する。東端に興玉おきたま神社があり、神石の夫婦岩めおといわがある。ふたみのうら。

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精選版 日本国語大辞典 「二見浦」の意味・読み・例文・類語

ふたみ‐の‐うら【二見浦】

[一] 兵庫県豊岡市城崎町上山(うやま)、円山川下流の景勝地。歌枕。
※古今(905‐914)羇旅・四一七「夕づくよおぼつかなきをたまくしげふたみの浦はあけてこそ見め〈藤原兼輔〉」
※金葉(1124‐27)雑上・五三七「玉くしげ二見の浦の貝しげみまきゑに見ゆる松のむらだち〈大中臣輔弘〉」

ふたみ‐が‐うら【二見浦】

三重県度会郡二見町の海岸。白砂青松の景勝地で、古くは沐浴斎戒の霊地。南端に二見興玉(おきたま)神社があり、その沖合にある夫婦岩(めおといわ)はさらにその沖合の興玉神石を拝する岩門として自然の鳥居を形づくっている。伊勢志摩国立公園の一部。二見の浦。二見潟

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日本歴史地名大系 「二見浦」の解説

二見浦
ふたみうら

[現在地名]豊北町大字北宇賀 二見

西方をひびき灘に面する海浜集落で、東・北・南の三方は山に囲まれ、その背後の山間を縫って流れる二見川の河口地帯に集落がある。

「大護社録・天神託宣秘書」によると、古代は荒津あらつ庄のうちで、二見の語源は海神をたたえるふとうみ(太海)であるという。

「地下上申」添付絵図によると、河口近くに八軒、奥に農家らしい二軒が描かれるが、幕末の豊浦藩明細書では戸数六三軒とあり、四一軒が本百姓、二二軒が名子とあるので、江戸末期に形成された浦であろう。伝えによれば明和六年(一七六九)頃、対馬(現長崎県)の漁人が来住したといわれ、また一説には筑前筥崎はこざき(現福岡市)の漁人が土着したともいう。これは二見浦の近傍が有力な大敷網の漁場であったことと関係があろう。

江戸時代には宇賀うか村のうちであったが、豊浦藩明細書では宇賀二見浦として記され、漁業と廻船業を中心とした港として知られた。

二見浦
ふたみのうら

五十鈴川河口右岸の今一色いまいつしきから夫婦めおと岩のある立石たていし崎までの約五キロの海岸。二見ヶ浦・二見潟・二見沖などともいわれた。今一色海岸付近は高城たかしろノ浜(長官浜・高代浜とも)、その東は打越うちこしノ浜という。茶屋ちややの海岸を狭義に二見浦ということもある。「神境雑記」「勢陽雑記」は、神宮奉仕の者や参詣者が身を清める垢離の場であるため清渚きよきなぎさといわれると記す。「吾妻鏡」養和元年(一一八一)正月二一日条に、熊野の僧徒らが伊勢・志摩を襲い、二見浦の人家を焼払ったことなどがみえる。

二見浦
ふたみうら

[現在地名]伊方町二見

南は宇和海、北は伊予灘に面し、東は九町くちよう浦、西は三机みつくえ(現瀬戸町)に接する。宇和島藩領。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇和郡の項に「二見浦 茅山有」とみえる。

大成郡録」に記された太閤検地の村高は七五石三斗八升、耕地面積の比率は田三三パーセント、畑六七パーセントであったが、寛文検地では村高一七一石五斗四升五合六勺、田一二パーセント、畑八八パーセントとなっている。

二見浦
ふたみのうら

[現在地名]城崎町上山

上山うやまの南部、円山まるやま川河畔をいい、対岸に玄武げんぶ(豊岡市)がある。ここは円山川の川幅も広く水郷の趣をみせ、二見谷からは清冽で豊富な湧出水があって古来から景勝地として知られた。平安時代の歌人で三十六歌仙の一人、堤中納言藤原兼輔に、「たじまのくにのゆへまかりける時に、ふたみのうらといふ所にとまりてゆふさりのかれいひたうべけるに、ともにありける人人のうたよみけるついでによめる」という詞書をもつ次の歌がある。

<資料は省略されています>

のち二見浦は歌枕となるが、二見浦は伊勢のほか播磨にもあり、歌学書は兼輔の右の歌も播磨とする。

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改訂新版 世界大百科事典 「二見浦」の意味・わかりやすい解説

二見浦 (ふたみがうら)

三重県伊勢市の旧二見町の海岸。〈ふたみのうら〉ともいい,二見潟,二見沖ともよばれた。伊勢湾に注ぐ五十鈴(いすず)川河口,今一色から東方の茶屋地区の立石崎まで約5kmの砂浜海岸で,狭義には茶屋の海岸を指すこともある。伊勢神宮奉仕の者や参宮者が身をきよめる禊(みそぎ)場で,また古来歌枕としても知られた。立石崎の沖には,しめ縄を張り渡した〈夫婦(めおと)岩〉とよばれる大小二つの岩がある。夫婦岩は,さらに沖合にあって猿田彦命の霊跡という興玉(おきたま)神石の岩門にあたるとされ,年に3度のしめ縄の張替えは,二見興玉神社の神事として行われる。一帯は伊勢志摩国立公園に含まれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「二見浦」の意味・わかりやすい解説

二見浦
ふたみがうら

三重県東部,志摩半島の北岸,伊勢湾に臨む海岸。「ふたみうら」ともいう。伊勢市北東部,二見の立石崎から北西へ約 4kmにわたる。遠浅の白砂青松の海岸で,古くから伊勢神宮参拝の前の沐浴斎戒の地であった。東端に二見興玉神社があり,その数メートル先の海中に夫婦岩がある。大岩は高さ 9m,小岩は 4mで,その間にしめ縄がかけられ,毎年5月と9月の5日と 12月下旬に,白衣白袴の氏子青年がしめ縄を張り替える。夏は海水浴場としてもにぎわう。伊勢志摩国立公園に属する。

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百科事典マイペディア 「二見浦」の意味・わかりやすい解説

二見浦【ふたみがうら】

三重県伊勢市の海岸。長さ約6kmの砂浜で,中央やや東寄りの海中に興玉(おきたま)神社の御神石夫婦(めおと)岩がある。歌枕として知られ,定家や西行の歌に〈ふたみの浦〉と詠まれている。伊勢志摩国立公園の一部。参宮線二見浦下車。
→関連項目伊勢[市]二見[町]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「二見浦」の意味・わかりやすい解説

二見浦
ふたみがうら

三重県中東部、伊勢市(いせし)二見町の伊勢湾岸にある海岸。五十鈴(いすず)川の河口今一色(いまいっしき)から東へ約4キロメートルの白砂青松の海岸で、東端に二見興玉(ふたみおきたま)神社があり、その前面に有名な夫婦岩(めおといわ)がある。古くから沐浴(もくよく)斎戒の地で、いまも伊勢神宮参拝者などが禊(みそぎ)を行う。明治末年に海水浴場が開設されてから旅館が建ち並び、観光地化した。夫婦岩を結ぶ大注連縄張(おおしめなわはり)神事が5月5日、9月5日、12月中旬の土・日曜日に行われる。

[伊藤達雄]


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世界大百科事典(旧版)内の二見浦の言及

【二見浦】より

…三重県度会(わたらい)郡二見町の海岸。〈ふたみのうら〉ともいい,二見潟,二見沖ともよばれた。伊勢湾に注ぐ五十鈴(いすず)川河口,今一色から東方の茶屋地区の立石崎まで約5kmの砂浜海岸で,狭義には茶屋の海岸を指すこともある。伊勢神宮奉仕の者や参宮者が身をきよめる禊(みそぎ)場で,また古来歌枕としても知られた。立石崎の沖には,しめ縄を張り渡した〈夫婦(めおと)岩〉とよばれる大小二つの岩がある。夫婦岩は,さらに沖合にあって猿田彦命の霊跡という興玉(おきたま)神石の岩門にあたるとされ,年に3度のしめ縄の張替えは,二見興玉神社の神事として行われる。…

※「二見浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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