二宮河勾庄(読み)にのみやかわわのしよう

日本歴史地名大系 「二宮河勾庄」の解説

二宮河勾庄
にのみやかわわのしよう

相模国の二宮であった川匂かわわ神社の周辺、すなわち押切おしきり(中村川)の下流一帯、現在の二宮町川匂・山西やまにし付近が荘園となったもので、河勾庄ともよばれた。正安三年(一三〇一)六月一〇日の亀山法皇院宣案(県史二)によれば、平安時代末に歌人藤原俊成の娘で建春門院や鳥羽上皇の娘八条女院に仕えた京極局から八条女院に寄進されたとある。仁安二年(一一六七)頃の相模守藤原盛頼は京極局の夫成親の弟にあたり、妻は京極局の妹である(尊卑分脈)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報