九・三〇事件(読み)きゅう・さんれいじけん(英語表記)September 30th Movement

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「九・三〇事件」の意味・わかりやすい解説

九・三〇事件
きゅう・さんれいじけん
September 30th Movement

1965年 10月1日未明に発生したインドネシア共産党 PKI派軍人などによるクーデター未遂事件。これを契機スカルノ大統領失脚,代って陸軍の支持を背景とするスハルト将軍のいわゆる「新体制」が成立するにいたった。対外的にも北京=ジャカルタ枢軸と呼ばれた急進路線が敗北し,穏健な右寄り非同盟路線へと転身がはかられた。事件の背景には,1950年代末に成立したスカルノ大統領の指導制民主主義体制を支えた二大勢力としての PKIと反共派陸軍とのイデオロギー的緊張が,権力継承闘争へと激化しつつあるという危機的状況があった。スカルノ大統領警護隊のウントン中佐ら「9月 30日運動」を名乗る部隊は,10月1日未明,右派「将軍評議会」による政府転覆の陰謀を粉砕するとしてヤニ国軍司令官ら6人の将軍を殺害,実権掌握を試みたが,反撃に転じたスハルト将軍の陸軍主流によって鎮圧された。これを転機として陸軍,イスラム諸派を中心とする反共,反スカルノ・キャンペーンが全国を席巻し,非共産圏最大の 350万党員を擁した PKIは崩壊し,67年独裁的権力を誇ったスカルノ大統領に代ってスハルト将軍が第2代大統領に就任した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「九・三〇事件」の解説

九・三〇事件
きゅう・さんまるじけん

1965年インドネシアで起きた軍事クーデタとその後の武力抗争事件
インドネシア共産党率いる革命評議会の軍隊が起こしたクーデタに対し,スハルトを中心とする右派軍人が巻き返し,これを徹底的に鎮圧した。共産党幹部や親共勢力とみられていた華僑など,数十万におよぶとされる虐殺が行われた。この事件で政権基盤を失ったスカルノは失脚し,1968年にスハルトが大統領に就任したが,事件の全貌はいまだ解明されていない。

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