久美浜湾(読み)くみはまわん

精選版 日本国語大辞典 「久美浜湾」の意味・読み・例文・類語

くみはま‐わん【久美浜湾】

京都府北西端、京丹後市にある日本海の小湾。湾口小天橋とよばれる砂州が発達し、狭い水道でわずかに日本海と通じる。松江の浦。久美の浦。

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日本歴史地名大系 「久美浜湾」の解説

久美浜湾
くみはまわん

松江まつえの浦ともいい、山陰海岸国立公園一部周囲二八キロ。熊野郡内河川を全部受け入れ、湾口の水戸口みとぐちを通して日本海に続く。湾の中央に大明神だいみようじん岬が突き出し、東に標高一九一・七メートルのかぶと(権現山)、西に如意寺によいじ岳(宝珠ほうじゆ山)が水面に影を写す。

「丹哥府志」に載せる松江の勝景を詠じた歌のうちに、安永(一七七二―八一)頃の広幡前内大臣の二首がある。

<資料は省略されています>

・チヌ・鰻・鱸・鰡・海鼠などの内湾漁業が行われてきた。大正五年(一九一六)から蛤の養殖が行われ、昭和二五年(一九五〇)から河内かつちを中心にして牡蠣の養殖が行われている。

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改訂新版 世界大百科事典 「久美浜湾」の意味・わかりやすい解説

久美浜湾 (くみはまわん)

京都府北西端,京丹後市の旧久美浜町にある潟湖。松江ノ浦,久美ノ浦,久美浜湖ともいう。北東~南西方向の断層によってできたリアス式の海湾の入口を,東からのびてきた砂嘴(小天橋)がほぼ閉じてしまったものであるが,塩分は外海とほぼ同じである。小天橋の東側の延長上の箱(函)石浜では縄文時代~平安時代の様々な遺物が出土し,この付近が古くからの港であったことが知られており,1921年に国の史跡に指定された。潟湖の周囲は約26km,面積約7km2最大水深23mであるが,流入する佐濃谷川,川上谷川,栃谷川,久美谷川などの運ぶ土砂によって浅くなりつつある。湾奥に久美浜,湾口に湊宮の集落が立地し,港がある。湾内ではスズキ,チヌ,カレイなどが獲れ,ハマチ,カキ,クルマエビなどの養殖も行われている。湾一帯は山陰海岸国立公園に含まれ,海水浴客をはじめとする観光客が多い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「久美浜湾」の意味・わかりやすい解説

久美浜湾
くみはまわん

京都府北西部の日本海に臨む潟湖。京丹後(きょうたんご)市久美浜町にあり、日本海とは長さ3キロメートルの小天橋(しょうてんきょう)とよばれる砂嘴(さし)によって隔てられる。周囲約20キロメートル、面積約7.1平方キロメートルの袋状の小湾で、湾口の狭い水道によって日本海に通じている。風光に恵まれ、一帯は山陰海岸国立公園の一部であり、また夏は、小天橋は海水浴場としてにぎわう。

[織田武雄]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「久美浜湾」の意味・わかりやすい解説

久美浜湾
くみはまわん

京都府北西端,日本海に面する湾。面積 7.3km2,周囲 23km,最大水深 20m。湾口部には,東から西へ小天橋 (しょうてんきょう) と呼ばれる砂州が延び,日本海との出入口は狭い水道を残すだけで,湾というよりも湖に近い形になっている。カキ,ハマチ,エビなどの養殖漁業が行われる。山陰海岸国立公園に属する。

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デジタル大辞泉プラス 「久美浜湾」の解説

久美浜湾

京都府京丹後市西部に位置し、日本海に臨む海跡湖。面積約7.18平方キロメートルの汽水湖で、久美浜湖ともいう。山陰海岸国立公園に含まれる景勝地で、カキなどの養殖も盛ん。日本海との間を隔てる砂州(小天橋)は、夏には海水浴客で賑わう。

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