久世庄(読み)くせのしよう

日本歴史地名大系 「久世庄」の解説

久世庄
くせのしよう

古代久世郡の郡衙のあった久世郷付近を荘域とすると思われるが、その範囲や立荘の時期は不明。建長二年(一二五〇)一一月日付の九条道家惣処分状(九条家文書)最勝金剛さいしようこんごう(跡地は現京都市東山区)領として「山城国久世庄」が記される。

一方、文永一一年(一二七四)頃の山城富野郷下知状目録(蓬左文庫所蔵金沢文庫本「斉民要術」裏文書)には、安貞二年(一二二八)一月一八日付の下文を記すが、そのなかに「元興寺領久世四ケ庄本庄・別庄・相博庄・南庄」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報