ちゅう‐ろ【中路】
〘名〙
① 道幅のなかほど。道路の中央の部分。
※
儀式(872)一「馬医左右各一人史生左右各一人次
レ之、中路少後宣旨車次
レ之」 〔史記‐司馬相如伝〕
※
類聚国史‐三一・天皇行幸下・貞観六年(864)二月壬午「車駕幸
二於太政大臣東京染殿第
一観
二桜花
一。中路駐
二蹕於一条第
一」 〔
阮籍‐詠懐詩〕
③ 令制で、朝使の
往来の多少によって駅路を大中小の三等に分けた、その第二等。
東海道・東山道がこれにあたる。三十里ごとに設置する駅家に、十疋の駅馬が常備された。
※
令義解(718)廏牧「凡諸道置
二駅馬
一。
大路廿匹。中路〈謂。東海東山道。其自外皆為
二小路
一也〉十匹」
※菅家文草(900頃)四・苦日長「忽忝二専城任一、空為中路泣」
⑤ 道路を広さによって区分するときの中くらいの広さの道路。
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普及版 字通
「中路」の読み・字形・画数・意味
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世界大百科事典(旧版)内の中路の言及
【街道】より
…
[古代・中世]
古くは地域ごとにおもに情報の伝達,兵員およびその食料の輸送,貢納物の移送といった軍事的・政治的な目的で政治権力によって形成されたとみられ,それらは律令国家の形成にともなって都城や国府を中心として統一的に体系化された。古代律令制においては,都城と諸国府を結ぶ街道として東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道が整備され,このうち都城と大宰府を結ぶ山陽道が最も重視されて大路(たいろ)と規定され,東海道・東山道が中路,他は小路とされた。これらの街道には[駅伝制]がしかれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」