中西梅花(読み)なかにしばいか

精選版 日本国語大辞典 「中西梅花」の意味・読み・例文・類語

なかにし‐ばいか【中西梅花】

詩人本名幹男。江戸浅草生まれ。読売新聞国民新聞記者を経て虚無傾向に立つ異色の詩人として活躍小説も多く書いた。晩年、不遇のうちに没した。著に「新体梅花詩集」など。慶応二~明治三一年(一八六六‐九八

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デジタル大辞泉 「中西梅花」の意味・読み・例文・類語

なかにし‐ばいか〔‐バイクワ〕【中西梅花】

[1866~1898]詩人・小説家。江戸の生まれ。本名、幹男。読売新聞に入社して小説を発表。のち、詩に専念。著「新体梅花詩集」など。

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百科事典マイペディア 「中西梅花」の意味・わかりやすい解説

中西梅花【なかにしばいか】

小説家,詩人。別号落花漂絮(ひょうじょ),梅花道人等。江戸生れ。饗庭篁村に兄事し,1888年頃《読売新聞》に入社。《国事探偵 この手柏》など数編の小説や雑報を書いたが,1890年5月退社。《国民新聞》《国民之友》等に作品を発表。1891年独自の発想・形式を持つ《新体梅花詩集》を刊行。序跋森鴎外徳富蘇峰森田思軒幸田露伴等が並び,文壇との関係を示した。が,性格や不遇な私生活からきたものらしい奇矯な言動のためにやがて文壇と疎遠になり,のち精神に異常を来し,33歳で没した。
→関連項目新体詩

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朝日日本歴史人物事典 「中西梅花」の解説

中西梅花

没年:明治31.9.30(1898)
生年:慶応2.4.1(1866.5.15)
明治時代の詩人,小説家。浅草千束町の漢方医済里の子。幼少時は学校制度の整わぬ時代でもあり,特に学校には行かなかった。21,2歳ごろから文学創作を始め,幸田露伴,尾崎紅葉らに接近し,内田魯庵とも親しかった。明治21(1888)年ごろ,読売新聞社に入社し,小説を発表したが,紅葉と対立して退社。その後,徳富蘇峰との縁で『国民新聞』に関係する。24年『新体梅花詩集』を刊行。森鴎外,森田思軒,蘇峰の序文があり,梅花が注目されていたことが知られる。粗雑な新体詩が流行していた時代に,その作品は極めて破格,詩想的にも大胆で,近代詩の萌芽を含んでいる。精神に乱調を来し,6年あまりの療養生活ののち,死去。<参考文献>『近代詩集Ⅰ』(日本近代文学大系53巻)

(及川茂)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中西梅花」の解説

中西梅花 なかにし-ばいか

1866-1898 明治時代の詩人,小説家。
慶応2年4月1日生まれ。明治21年ごろから23年まで読売新聞社につとめ,同紙上に「国事探偵この手柏」などの小説や批評を発表。24年「新体梅花詩集」を刊行し,自由奔放な詩風で注目された。明治31年9月30日死去。33歳。江戸出身。本名は幹男。別号に落花漂絮(ひょうじょ)。
【格言など】世の中は/唯おもしろきものなるを/其おもしろきものとては/唯現在の今日のほか/明日も明後日も無きものを(「出放題」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中西梅花」の意味・わかりやすい解説

中西梅花
なかにしばいか

[生]慶応2(1866).4.1. 江戸
[没]1898.9.3. 東京
詩人,小説家。本名,幹男。 1888年読売新聞社に入り,『機姫物語』 (1889) ほか数編の小説を書いたが大成せず 90年退社。奔放な情熱と東洋的な諦観と虚無の交錯する『新体梅花詩集』 (91) を残してまもなく精神に異常をきたした。

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