中沢臨川(読み)なかざわりんせん

精選版 日本国語大辞典 「中沢臨川」の意味・読み・例文・類語

なかざわ‐りんせん【中沢臨川】

評論家本名重雄。長野県出身。東京帝国大学工学部卒。在学中に窪田空穂、小山内薫らと「山比古」を創刊ロシア文学や、ニーチェベルグソンロマン=ロランなどの紹介につとめ、大正初期の評論界で活躍。著「近代思想十六講」「自然主義汎論」など。明治一一~大正九年(一八七八‐一九二〇

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デジタル大辞泉 「中沢臨川」の意味・読み・例文・類語

なかざわ‐りんせん〔なかざは‐〕【中沢臨川】

[1878~1920]評論家。長野の生まれ。本名、重雄。19世紀後半の西欧文芸・思想を紹介。評論「鬢華びんげ」「破壊と建設」、評伝トルストイ」「ベルグソン」など。

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朝日日本歴史人物事典 「中沢臨川」の解説

中沢臨川

没年:大正9.8.9(1920)
生年:明治11.10.28(1878)
明治大正期の評論家。旧姓塩沢,本名重雄。長野県生まれ。東京帝大工学部を卒業した異才で,西洋文学を愛しロシア文学に親しむ。国木田独歩ら多くの文学者と交友,『自然主義汎論』(1910)は西欧の自然主義を総括的に論じ,その学識の幅を示している。評伝『トルストイ』(1913)を出し,関心はW.ジェイムス,ベルグソン,オイケンなどにもおよび,論文集『破壊と建設』(1914)を得た。文明批評におよぶ評論活動は,いかにも大正初期の時代性を示している。晩年は精神中心の世界観を展開し,『旧き文明より新しき文明へ』(1915)や小説『嵐の前』(1921)を著した。

(中島国彦)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中沢臨川」の解説

中沢臨川 なかざわ-りんせん

1878-1920 明治-大正時代の文芸評論家。
明治11年10月28日生まれ。塩沢幸一の兄。東京帝大工科大学在学中,窪田空穂(くぼた-うつぼ)らと「山比古(やまびこ)」を発行。卒業後,鉄道技師をへて,松本市で電気会社経営のかたわら海外の思想・文学の紹介,解説につとめた。実家は養命酒醸造元。大正9年8月9日死去。43歳。長野県出身。旧姓は塩沢。本名は重雄。著作に「自然主義汎論」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中沢臨川」の意味・わかりやすい解説

中沢臨川
なかざわりんせん

[生]1878.10.28. 長野
[没]1920.8.10. 東京
評論家。本名は重雄。東京大学工学部在学中,窪田空穂,小山内薫らと『山比古』を刊行。フランス,ドイツ,ロシアの自然主義文学を紹介した『自然主義汎論』 (1910) などの評論を発表ののち,文明評論,社会評論へと進み,『旧き文明より新しき文明へ』 (1915) ,『新社会の基礎』 (1920) などを書いた。

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