精選版 日本国語大辞典 「中村翫右衛門」の意味・読み・例文・類語
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歌舞伎(かぶき)俳優。
2世(1851―1919)江戸生まれ。本名三井梅之助(うめのすけ)。4世市川門之助、4世中村芝翫(しかん)の門弟で、中村梅之助から中村梅雀(ばいじゃく)を名のり、長い間小芝居で座頭(ざがしら)を勤めて人気があった。晩年に大芝居に出るようになり、1913年(大正2)中村翫右衛門と改名し、名題(なだい)に上った。
3世(1901―1982)2世の子。東京生まれ。本名三井金次郎。屋号成駒(なりこま)屋。5世中村歌右衛門(うたえもん)の門弟となり梅之助と名のったが、1920年(大正9)歌舞伎座で名題になり、3世翫右衛門を襲名した。歌舞伎研究会ともだち座や大衆座を結成するなど、早くから歌舞伎界の革新に情熱を燃やし、1931年(昭和6)5月、2世河原崎(かわらさき)長十郎らと前進座を創立、演技、理論両面における同座の支柱となった。繊細で、しかも情熱的な演技をみせ、とくに世話物に卓越した才能を示した。俊寛(しゅんかん)、吃又(どもまた)、魚屋宗五郎などが当り役。長男が4世中村梅之助(1930―2016)で、前進座の中心俳優として活躍した。
[服部幸雄]
『『人生の半分――中村翫右衛門自伝』(1959・筑摩書房)』▽『『演技自伝』(1973・未来社)』
歌舞伎俳優。1839年(天保10)に上上(評判記で上上吉の下の評価)まで昇った敵役がいた。これが初世であろう。(1)2世(1851-1919・嘉永4-大正8) 本名三井梅之助。江戸本郷湯島に生まれる。4世市川門之助の弟子,のちに4世中村芝翫の門弟となり,中村梅雀と改名。1913年4月歌舞伎座で翫右衛門を襲名する。久しく下谷向柳原の柳盛座で座頭をつとめていた。《野崎村》の久作などのほか,〈紅勘(べにかん)踊〉の所作事を得意とした。(2)3世(1901-82・明治34-昭和57) 1905年柳盛座で初舞台。11年5世中村歌右衛門の門弟となり,同年11月歌舞伎座で3世中村梅之助を,20年4月歌舞伎座で翫右衛門を襲名。31年5月前進座を創立。俊寛,魚屋宗五郎,《一本刀》の茂兵衛などを演じ,座の中心となって活躍。《人生の半分》ほか著書も多い。
執筆者:落合 清彦
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