中村白葉(読み)ナカムラハクヨウ

デジタル大辞泉 「中村白葉」の意味・読み・例文・類語

なかむら‐はくよう〔‐ハクエフ〕【中村白葉】

[1890~1974]ロシア文学者。兵庫の生まれ。本名、長三郎。東京外語学校卒。在学中に「露西亜文学」を創刊ドストエフスキーの「罪と罰」を初めて原典から翻訳したほかチェーホフトルストイなど、数多くのロシア文学を翻訳した。芸術院賞受賞。

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改訂新版 世界大百科事典 「中村白葉」の意味・わかりやすい解説

中村白葉 (なかむらはくよう)
生没年:1890-1974(明治23-昭和49)

ロシア文学者。兵庫県生れ。本名長三郎。ロシア文学研究を志して東京外国語学校(現,東京外国語大学)露語科に入学し,在学中から米川正夫らと雑誌露西亜文学》を創刊したほどの打ちこみようであった。以後主として19世紀ロシア文学の翻訳・紹介につとめた。1918年ドストエフスキーの《罪と罰》を日本で初めてロシア語から翻訳し,29-31年米川正夫らと共訳で原典からの《トルストイ全集》を完成した。73年芸術院賞を受けた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中村白葉」の意味・わかりやすい解説

中村白葉
なかむらはくよう

[生]1890.11.23.
[没]1974.8.12.
ロシア文学者。本名,長三郎。 1912年東京外国語学校露文科卒業。鉄道院に就職したが,一貫してロシア文学の研究に専心,15年新潮社からドストエフスキーの『罪と罰』の翻訳を出版した。これはロシア語原書からの初めての訳であった。その後も次々とロシア文学の翻訳を手がけ,『チェーホフ全集』『トルストイ全集』などを完成した。 67年,多年にわたるロシア文学の翻訳,紹介の功績ソ連から勲章を受けた。著書『ここまで生きてきて 私の八十年』 (1971) は一翻訳家のユニークな自叙伝である。 73年芸術院賞受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村白葉」の解説

中村白葉 なかむら-はくよう

1890-1974 大正-昭和時代のロシア文学者。
明治23年11月23日生まれ。中村融(とおる)の義父。東京外国語学校(現東京外大)在学中に米川正夫らと「露西亜(ロシア)文学」を創刊する。「チェーホフ全集」「トルストイ全集」などおおくの作品を翻訳。昭和42年ソ連名誉勲章。48年芸術院賞。昭和49年8月12日死去。83歳。兵庫県出身。本名は長三郎。
【格言など】人生を愛し人生になやみ苦しみつつも/八十三年の人生を味わい深く生きたりと/自負する男ここに眠る(墓碑銘)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村白葉」の意味・わかりやすい解説

中村白葉
なかむらはくよう
(1890―1974)

ロシア文学者。兵庫県の生まれ。本名長三郎。東京外国語学校(現東京外国語大学)露語科卒業。在学中から米川(よねかわ)正夫らと同人誌『露西亜(ロシア)文学』を創刊。以後主として19世紀ロシア文学の翻訳、紹介に努めた。『チェーホフ全集』全18巻(1934~36)、『トルストイ全集』全18巻(1959~69)が代表的訳業。随筆集『ここまで生きてきて・私の八十年』がある。日本ロシヤ文学会会長。1973年(昭和48)芸術院賞受賞。

[江川 卓]

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