中島久万吉(読み)なかじまくまきち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中島久万吉」の意味・わかりやすい解説

中島久万吉
なかじまくまきち
(1873―1960)

実業家、政治家。高知県出身。男爵中島信行(のぶゆき)の長男。東京高等商業学校(一橋大学前身)卒業。東京株式取引所所員、総理大臣秘書官などを経て、貴族院議員となる。1906年(明治39)古河財閥に入り、3代目当主虎之助の補佐役を務めるかたわら、横浜護謨(ゴム)、古河電工などの社長を歴任した。1916年(大正5)日本工業倶楽部(くらぶ)創立とともに専務理事となり、昭和初年の産業合理化運動に尽力した。1932年(昭和7)斎藤実(まこと)内閣の商工大臣に就任し、日本製鉄設立を実現させたが、帝人事件に連座し、政界から引退した。第二次世界大戦後は日本貿易会を設立し、会長となった。

[宇田川勝]

『中島久萬吉著『政界財界五十年』(1951・講談社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中島久万吉」の解説

中島久万吉 なかじま-くまきち

1873-1960 明治-昭和時代の実業家,政治家。
明治6年7月24日生まれ。中島信行の長男。明治39年古河鉱業にはいる。横浜電線製造(現古河電気工業),横浜護謨(ゴム)製造(現横浜ゴム)の設立に尽力し社長。また日本工業倶楽部(クラブ)設立にかかわる。昭和7年斎藤内閣商工相となるが,足利尊氏賛美論を攻撃され辞任。貴族院議員。戦後は日本貿易会会長。昭和35年4月25日死去。86歳。神奈川県出身。高等商業(現一橋大)卒。

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世界大百科事典(旧版)内の中島久万吉の言及

【帝人事件】より

…その後,帝人が好調に業績をあげたので,同株を入手しようという動きが活発となり,33年5月財界グループ番町会の河合良成らが10万株を入手した。これに対し34年1月武藤山治(元鐘紡社長)経営の《時事新報》が〈番町会を暴く〉を連載して番町会の帝人乗っ取りで,中島久万吉商工相らも関与した不正があると攻撃,3月武藤の暗殺で疑惑が拡大した。東京地裁への告発を機に,4月関係者が拘引され,5月次官黒田英雄ら大蔵省幹部の逮捕に発展し,さらに中島,三土(みつち)忠造鉄道相にも取調べが及ぶ形勢に,7月3日斎藤内閣は総辞職した。…

【中島信行】より

…92年よりイタリア公使,貴族院議員を歴任し,男爵となる。大正・昭和期の実業家,政治家中島久万吉(くまきち)は長男。【大日方 純夫】。…

※「中島久万吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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