中山太郎(読み)なかやまたろう

改訂新版 世界大百科事典 「中山太郎」の意味・わかりやすい解説

中山太郎 (なかやまたろう)
生没年:1876-1947(明治9-昭和22)

民俗学者。栃木県足利郡梁田村(現,足利市梁田)で,神道指南および雑貨商の相場吉蔵の次男として出生。本名は太郎治。15歳の時に兵役逃れのため中山家の養子となる。小学校を中退し,家業の手伝いや奉公生活を経て東京専門学校(現,早稲田大学)に入学。卒業後,報知新聞社や博文館に勤務するかたわら,柳田国男に師事して民俗学の道に進み,退職後は民俗学に専念,多数の著書を世に送った。柳田のほか,南方熊楠折口信夫鳥居竜蔵,N.ネフスキーらと交流,金田一京助とは北方文明研究会を組織した。中山の学風は,柳田らと異なり文献史料を用いて一種の社会史や文化史を描くことにあったが,着眼は先駆的であり,関心の幅も広かった。おもな著書に《売笑三千年史》《日本婚姻史》《日本民俗学》《日本若者史》《日本民俗学辞典》《日本盲人史》《万葉集の民俗学的研究》などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中山太郎」の意味・わかりやすい解説

中山太郎
なかやまたろう
(1876―1947)

民俗学者。栃木県足利(あしかが)市生まれ。歴史的民俗学を唱え、文献記録に記された民俗を広く集成し、その歴史的変遷を考える特色ある立場をとった。東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)を卒業後、新聞記者、編集者などの仕事をしながら民俗学に入った。柳田国男(やなぎたくにお)に師事したが柳田民俗学の本流の外にあり、弟子もなかったが、民俗の対象を常民に限らず、『日本民俗学辞典』や数種のテーマ別通史を著した。

[大林太良 2019年2月18日]

『『日本民俗学』全4巻(1976~1977・大和書房)』『『日本民俗学辞典』(1980・名著普及会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中山太郎」の意味・わかりやすい解説

中山太郎
なかやまたろう

[生]1876.11.13. 足利
[没]1947.6.13. 足利
民俗学者。本名太郎治。東京専門学校 (現早稲田大学) 卒業。新聞記者,編集者を生業とするかたわら,柳田国男に師事。みずからの学問を歴史的民俗学と称し,古文献による研究を行なった。読書から得られた膨大なカードをもとに,巫女・盲人・売笑・婚姻・若者といったテーマごとの通史をまとめ,独力で民俗学辞典を編纂。口頭伝承に基礎を置く柳田との対立などによって学説史上長らく評価されなかったが,近年その功績が認められつつある。主著『日本民俗学』 (4巻,1930~31) ,『日本民俗学辞典』 (33) ,『日本盲人史』 (34) 。

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百科事典マイペディア 「中山太郎」の意味・わかりやすい解説

中山太郎【なかやまたろう】

民俗学者。栃木県出身。本名太郎治。東京専門学校(現,早稲田大学)卒業後,報知新聞の記者などをするかたわら,柳田国男に師事して民俗学を研究,退職後は研究に専念。柳田民俗学とは異なり,文献史料を多用して,性・盲人などをはじめ,それまであまり取り扱われてこなかった問題を論じ,その関心も多岐にわたった。主な著書に《日本盲人史》《日本婚姻史》《日本民俗学辞典》などがある。

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世界大百科事典(旧版)内の中山太郎の言及

【風俗問状答】より

…江戸中期の国学者で幕府の右筆(ゆうひつ)でもあった屋代弘賢(やしろひろかた)が全国各藩の儒者や知人あてに送った〈風俗問状〉に対する答書。中山太郎がこれらの答書を集成し,解題と校注を付して《諸国風俗問状答》として1942年に刊行している。〈風俗問状〉は,諸国で行われている風俗習慣を収集するために作られたいわば調査項目表で木版の小冊子とされ,1813年(文化10)ころ逐次各藩に送られたらしい。…

※「中山太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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