中宮寺(読み)チュウグウジ

デジタル大辞泉 「中宮寺」の意味・読み・例文・類語

ちゅうぐう‐じ【中宮寺】

奈良県生駒郡斑鳩いかるが町にある聖徳宗の尼寺。山号は法興山。聖徳太子が、生母で用明天皇皇后の穴穂部間人あなほべのはしひと皇女の没後、菩提を弔うためその御所を寺としたのに始まるという。鎌倉時代日浄らが再興。天文年間(1532~1555)伏見宮貞敦親王の王女が入寺して以来、尼寺となった。所蔵の弥勒菩薩半跏はんか像と天寿国曼荼羅まんだらは国宝。中宮尼寺。中宮寺御所。斑鳩御所斑鳩尼寺

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精選版 日本国語大辞典 「中宮寺」の意味・読み・例文・類語

ちゅうぐう‐じ【中宮寺】

奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町、法隆寺の東側にある聖徳宗の尼寺。山号は法興山。はじめは法相宗、のちに真言宗。推古天皇一五年(六〇七)聖徳太子が母穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の菩提を弔うために皇女の御所を寺としたのにはじまる。法隆寺を斑鳩寺と呼ぶのに対し、斑鳩尼寺と呼ばれる。所蔵する本尊の菩薩半跏思惟像(伝如意輪観音)と天寿国繍帳残闕は国宝に指定されている。中宮尼寺。法興尼寺。斑鳩御所。なかみやでら。

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日本歴史地名大系 「中宮寺」の解説

中宮寺
ちゆうぐうじ

[現在地名]斑鳩町法隆寺北一丁目

法興尼ほうこうにん寺、または鵤尼いかるがにん寺とも称して、法隆寺夢殿の北東方にある。法興山と号し、聖徳宗。本尊は伝如意輪観音。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔聖徳太子建立の寺〕

初めの寺地は、現在地東方約五五〇メートルの法隆寺東ほうりゆうじひがし二丁目の地にあり、国の史跡に指定されている。ここは用明天皇皇后、穴穂部間人皇女(聖徳太子の母)の宮所があったところで、葦垣あしがき宮・岡本おかもと宮・鵤宮のほぼ中央にあたることから中宮と称され、寺にもこの名号がつけられたという。開基は聖徳太子。法隆寺伽藍縁起并流記資財帳に推古天皇六年四月一五日、聖徳太子に請うて法華勝鬘などの経を講じ、播磨国佐西地五〇万代の布施のあったときに伊訶留我本いかるがほん寺・中宮寺・片岡僧かたおかそう寺に施入したと記してあるので、皇后の在世中にすでに中宮寺ができていたことになる。しかし「聖徳太子伝暦」によれば、皇后の没後に寺となしたと記している。いずれにしても太子が母后のためにその宮地に中宮寺を建てた。

〔創建時の伽藍配置〕

「和州旧跡幽考」には「むかしの跡は法隆寺の東の田中につゐぢの跡のこれり」と記しており、いま旧殿・夫台ぶたいあまだれ・赤門前あかもんまえ西にしもんなどの小字名を存している。

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改訂新版 世界大百科事典 「中宮寺」の意味・わかりやすい解説

中宮寺 (ちゅうぐうじ)

奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町にある聖徳宗(もとは法相宗,真言宗)の尼寺。中宮尼寺,斑鳩御所ともいう。聖徳太子建立七ヵ寺の一つ。創建当初は現在地の東500mほどの所にあり,16世紀後半ごろに移転したようである。621年(推古29)聖徳太子の母穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女が亡くなった後,その宮を寺に改めたと伝える。葦垣,岡本,斑鳩の三つの宮のなかに位置するので中宮(なかみや)寺というとの説もある。平安時代の末には衰退したが,13世紀後半に西大寺の叡尊(えいそん)の指示で信如が復興した。信如は法隆寺の宝庫から《天寿国繡帳(てんじゆこくしゆうちよう)(天寿国曼荼羅)》を得て,京都で模造している。天文年間(1532-55)に伏見宮貞敦親王の娘尊智が住持してより皇室もしくは宮家から入室する比丘尼(びくに)御所の寺格となり,1889年門跡(もんぜき)を称する。本尊の菩薩半跏像(国宝)は,寺伝に如意輪観音とされているが,近年は弥勒菩薩像と呼ばれている。像高87.9cm,流麗優美な木造の半跏思惟(はんかしい)像で,《天寿国繡帳》(国宝)とともに飛鳥文化を代表する遺品である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中宮寺」の意味・わかりやすい解説

中宮寺
ちゅうぐうじ

奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町法隆寺にある寺。法隆寺を中心とする奈良仏教系の聖徳(しょうとく)宗に属する門跡尼寺(もんぜきにじ)。山号を法興山という。別称は中宮尼寺、中宮寺御所(ごしょ)、斑鳩御所といい、また法隆寺を斑鳩寺というのに対して斑鳩尼寺という。全国尼寺の総本山。本尊は如意輪観音(かんのん)。寺の創建に関しては諸説あるが、寺伝では、596年(推古天皇4)、聖徳太子は母の用明(ようめい)天皇皇后(穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女)のために中宮を建て、母没後、その菩提(ぼだい)を弔うために御所を寺刹(じさつ)にしたといい、母を開祖として中宮寺(なかみやでら)と号した。古くから聖徳太子ゆかりの尼寺として栄えたが、鎌倉時代には衰微。江戸時代に復興し、その門跡も代々伏見宮家から迎えられた。現存の建造物はそのほとんどが江戸時代以後のもの。本尊の木造菩薩半跏(ぼさつはんか)像(寺では如意輪観音像というが、一般には弥勒(みろく)菩薩とみられている)、天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)(以上2点は国宝)、紙製文殊(もんじゅ)菩薩立像、紙本墨書『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』(以上2点は国重要文化財)などの貴重な文化財が所蔵されている。菩薩半跏像は思惟(しい)半跏の優美な像で、京都広隆寺の弥勒菩薩半跏像とともに飛鳥(あすか)後期の名品として有名である。また天寿国繍帳は、絹布地に色糸で極楽浄土を刺繍(ししゅう)したもので、聖徳太子追善のために製作されたという。わが国最古の刺繍物であるが、現存するのは数個の断片である。

[里道徳雄]

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百科事典マイペディア 「中宮寺」の意味・わかりやすい解説

中宮寺【ちゅうぐうじ】

奈良県斑鳩(いかるが)町にある聖徳宗の尼寺。元来は法相宗。621年創建と伝え,鎌倉時代に衰えたが,室町時代末に再興。江戸時代初めに創建時の地より500m南西の現在地に移り,のち伏見家より代々門跡が入ることになった。本尊木造弥勒菩薩半跏(はんか)像(如意輪観音)と天寿国繍帳(しゅうちょう)はともに飛鳥(あすか)美術の代表作
→関連項目斑鳩[町]聖徳太子浄土信仰

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「中宮寺」の解説

中宮寺
ちゅうぐうじ

鵤(いかるが)尼寺・法興尼寺とも。奈良県斑鳩(いかるが)町にある聖徳宗の尼寺。聖徳太子の母穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の宮跡に太子が建立したと伝える。はじめ現在地の東方にあり,四天王寺式伽藍配置だった。1274年(文永11)当寺に住した興福寺の尼信如(しんにょ)が法隆寺綱封倉から天寿国曼荼羅繍帳を発見し,その修理を行うなど復興を図った。以後たびたび火災にあい,16世紀の天文年間に法隆寺東院の山内子院であった現在地に移り,やがて宮家の皇女が住持を勤めた。寺跡は国史跡。

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旺文社日本史事典 三訂版 「中宮寺」の解説

中宮寺
ちゅうぐうじ

奈良県生駒郡斑鳩 (いかるが) 町にある法隆寺東院の尼寺
聖徳太子が母の穴穂部間人 (あなほべのはしひと) 皇后の菩提を弔うため建立。もとの伽藍 (がらん) 配置は四天王寺式。本尊『弥勒菩薩像』と『天寿国曼荼羅繡帳 (てんじゆこくまんだらしゆうちよう) 』は飛鳥時代の代表的遺品として有名。

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デジタル大辞泉プラス 「中宮寺」の解説

中宮寺

奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院。聖徳宗の尼寺で、中宮尼寺、斑鳩御所ともいう。聖徳太子が、母穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の没後、その御所を寺に改めたのが起源と伝わる。金堂本尊の弥勒菩薩半跏(はんか)像(伝如意輪観音像)、天寿国繍帳は国宝に指定。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中宮寺」の意味・わかりやすい解説

中宮寺
ちゅうぐうじ

奈良県斑鳩 (いかるが) 町にある聖徳宗の寺院。斑鳩尼寺,法興寺とも称する。聖徳太子の創建。本尊は『菩薩半跏像』 (伝如意輪観音,国宝) 。もとは尼寺の総本山。『天寿国繍帳』 (国宝) を蔵する。

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世界大百科事典(旧版)内の中宮寺の言及

【中宮寺】より

…621年(推古29)聖徳太子の母穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女が亡くなった後,その宮を寺に改めたと伝える。葦垣,岡本,斑鳩の三つの宮のなかに位置するので中宮(なかみや)寺というとの説もある。平安時代の末には衰退したが,13世紀後半に西大寺の叡尊(えいそん)の指示で信如が復興した。…

※「中宮寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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