中務内侍(読み)ナカツカサノナイシ

デジタル大辞泉 「中務内侍」の意味・読み・例文・類語

なかつかさのないし【中務内侍】

鎌倉後期の女流歌人中務大輔たいふ藤原永経の娘。伏見天皇に仕え、和歌に長じた。「中務内侍日記」の作者生没年未詳。

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朝日日本歴史人物事典 「中務内侍」の解説

中務内侍

生年:生没年不詳
鎌倉時代の日記作者,歌人。従三位藤原(高倉)永経の娘。本名経子。伏見天皇に春宮時代より仕え,弘安10(1287)年天皇践祚とともに掌侍となり,中務内侍と呼ばれる。正応5(1292)年病により宮仕えを辞した。その著書『中務内侍日記』は,弘安3(1280)年からの13年間の回想記。前半は春宮奉仕時代,後半は内裏奉仕時代の宮廷生活を中心に,宮廷での風流文事,君臣・女房の友愛に満ちた交流,即位の行事などを,154首の和歌をまじえて描いている。哀愁をおびた筆致のなかに,作者の温かな人柄や,事務的才能に恵まれた中堅女房という一面が浮かび上がる。『玉葉集』に2首入集。<参考文献>岩佐美代子「校注中務内侍日記」(『中世日記紀行集』)

(田渕句美子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中務内侍」の解説

中務内侍 なかつかさのないし

?-? 鎌倉時代の女官,歌人。
宮内卿藤原永経の娘。伏見(ふしみ)天皇につかえ,伏見院中務内侍ともよばれた。弘安3年(1280)以降の13年間の宮廷生活を記録した「中務内侍日記」の作者として知られる。「玉葉和歌集」に2首がある。中務は父の官職名の中務大輔(たいふ)から。名は経子(けいし)。
格言など】変る世の憂きにつけてぞ古のあはれなりしも思ひしらるる(「玉葉和歌集」)

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