中ノ尾砦跡(読み)なかのおとりであと

日本歴史地名大系 「中ノ尾砦跡」の解説

中ノ尾砦跡
なかのおとりであと

[現在地名]日南市板敷・殿所

とびみね地区の東端殿所とのところ北郷きたごう大藤おおふじとの境、中ノ尾の嶺上を占めていた中世の砦。中ノ尾の嶺一帯は飛ヶ峯ともいい、飛ヶ峯は古くは富嶺・富ヶ峯・鳶ヶ峯などとも書いた。また「日向記」に「中尾劫昧カ辻」とみえる劫昧ヵ辻ごうまいヵつじも当砦、あるいは付近の城塞のことをさしていたと思われ、劫昧ヵ辻は合米ヶ辻(「北郷忠相等三代日帳写」都城島津家文書)、護擁舞辻(庄内平治記)、業毎ヵ辻(日向記)、ゴウマイガ辻(「年代記」旧記雑録)などとも書いた。文明一六年(一四八四)一一月末、櫛間くしま(串間)の領主伊作久逸に救援を頼まれた都於郡とのこおり(現西都市)の伊東祐国は飫肥おび侵攻、これを迎え撃った飫肥城主新納忠続の軍勢を「富嶺」で破り、忠続の叔父忠匡らを討捕らえた。勢いに乗った伊東勢は飫肥城をうかがい、一方、星倉の新山ほしくらのにいやま城を支えきれなくなった忠続は飫肥城に逃込んだ。このため祐国は富嶺と新山陣営を置いて飫肥城を囲んでいる(「島津忠昌譜」旧記雑録、「島津国史」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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