中ソ友好同盟相互援助条約(読み)ちゅうソゆうこうどうめいそうごえんじょじょうやく

精選版 日本国語大辞典 の解説

ちゅうソゆうこうどうめいそうごえんじょ‐じょうやく チュウソイウカウドウメイサウゴヱンジョデウヤク【中ソ友好同盟相互援助条約】

一九五〇年二月、中華人民共和国ソ連モスクワで結んだ条約。日本帝国主義の復活アメリカ侵略を警戒して、中ソ両国の強い同盟関係を樹立することが目的中ソ友好同盟条約改定。長春鉄道、旅順大連中国への返還、中国への借款を約束したもの。一九八〇年、条約の三〇年の有効期間満了とともに失効。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

中ソ友好同盟相互援助条約
ちゅうそゆうこうどうめいそうごえんじょじょうやく

中華人民共和国とソビエト社会主義共和国連邦との間の友好、同盟および相互援助に関する条約。本条約および二つの付属協定、交換公文からなる。1950年2月14日モスクワで調印、4月11日発効。中華民国とソ連との間に1945年8月14日に結ばれた中ソ友好同盟条約を多くの面で継承している。この条約締結のために、毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)主席は建国直後の多忙な最中、1949年12月中旬から2か月にわたってソ連に滞在し、その間、周恩来(しゅうおんらい/チョウエンライ)首相もモスクワによばれるなど、スターリンとの交渉は困難を極めた。のちに毛沢東は、この協定によって中国の東北地方を自国の植民地にしようとしたと、ソ連を非難した。

 本条約は前文と6か条からなり、日本および日本に同盟する国の侵略を共同で阻止する(第1条)、対日全面講和の促進(第2条)、相手国に反対する同盟・集団行動・措置への不参加(第3条)、重要な国際問題の協議(第4条)、経済・文化協力の強化(第5条)、条約の有効期間30年(第6条)などを規定している。付属協定では、中ソ共同管理の中国長春鉄道、旅順(りょじゅん/リュイシュン)・大連(だいれん/ターリエン)の海運基地の早期返還、および3億ドルの対中国経済援助を約束している。交換公文は、旧条約の失効、モンゴルの独立の再確認を明記している。

 本条約は1950年代の冷戦時代には中ソ社会主義陣営のシンボルとみられていた。60年代以後、中ソ対立の激化とともに本条約は有名無実化していき、日中平和友好条約交渉の過程で本条約の第1条の対日条項が問題となったが、中国側は79年4月3日に、80年4月11日の満期後は同条約を延期する意志のないことをソ連に通告した。ソ連政府はこの措置を「敵対的行為」と非難したが、同条約の失効後、両国間で関係改善の交渉が進められ、89年5月のソ連のゴルバチョフ書記長の北京(ペキン)訪問(10日後、最高会議議長に就任)によって、両国の国家関係、党関係ともに正常化した。ソ連崩壊後、中国とロシアの友好関係は回復され、96年4月のエリツィン大統領の訪中では、21世紀に向けての中ロ関係を「戦略的協調パートナーシップ」と位置づける共同声明に調印した。

[安藤正士]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 の解説

中ソ友好同盟相互援助条約 (ちゅうソゆうこうどうめいそうごえんじょじょうやく)

中華人民共和国の建国早々,毛沢東主席は主席初の外国訪問として,1949年12月21日モスクワで開催予定の,スターリン首相70年誕生祝賀宴に参加のため12月16日訪ソ,その後スターリン首相と中ソ両国の友好団結について,年越しの長期会談に入った。翌50年1月には中国の周恩来首相も会談に加わり,50年2月14日ようやく,毛沢東,スターリン両首脳立会いの下に,期限30ヵ年,全文6ヵ条から成る〈中ソ友好同盟相互援助条約〉の調印がおこなわれた。この条約は,4年前の45年8月14日日本の降伏直前,ソ連と中国(蔣介石政権)の間に締結された〈中ソ友好同盟条約〉を改定,継承したもので,旧条約と同様に第1条で,日本あるいは日本と結びついた外国によって,中ソいずれかの国が侵略を受けた場合,相互に〈全力をあげて軍事その他の援助を与えること〉を約している。また条約とともに,中国長春鉄道(旧,満鉄),旧条約以来ソ連が租借していた旅順,大連の返還,ソ連の対中経済援助などの諸協定が結ばれた。なお新条約は期限満了の80年4月10日,中国側の通告によって自動失効した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

中ソ友好同盟相互援助条約(ちゅうソゆうこうどうめいそうごえんじょじょうやく)

1950年2月に調印された中ソ間の同盟・相互援助条約。49年12月に訪ソした毛沢東スターリンとの会談にもとづき,周恩来ヴイシンスキーとの交渉をへて調印され,50年4月に発効した。6カ条からなるが,「両国の善隣友好関係の強化」をうたいつつ,日本およびアメリカの脅威に対抗するという目的を持ち,軍事的な相互援助を明示した攻守同盟条約であった。同時に調印された中国東北地方に関する協定,借款供与協定とともに,中国は安全保障と経済援助を確保したが,秘密補充協定によってソ連は中国東北地方や新疆(しんきょう)から第三国の勢力を排除するという目的を果たした。60年代以降の中ソ関係悪化によって有名無実化し,79年中国側が再延長しないと通告したことによって終了した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

百科事典マイペディア の解説

中ソ友好同盟相互援助条約【ちゅうソゆうこうどうめいそうごえんじょじょうやく】

1950年中華人民共和国とソ連との間で締結した条約。中ソ友好同盟条約(中国国民政府とソ連間で1945年締結。対日戦遂行,単独不講和,長春鉄路共同経営を約す)に代わるもの。日本とその同盟国による侵略の防止,相互援助,経済・文化面での協力を約した。しかし,中ソ対立の激化,1972年の米中,日中国交正常化などにより,条約は有名無実化。中国は,日中平和友好条約締結問題に絡んで,条約の期限切れ1年前の1979年4月にソ連に対し満期後の条約廃棄を通告,1980年4月10日,30年間の期間切れと同時に廃棄された。
→関連項目第2次世界大戦中華人民共和国

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 の解説

中ソ友好同盟相互援助条約
ちゅうソゆうこうどうめいそうごえんじょじょうやく

1950年2月,中華人民共和国とソ連がモスクワで結んだ条約
中華人民共和国の成立により,1945年の中ソ友好同盟条約を中国側に有利に改定。帝国主義侵略の共同防止を目的に対日条項が強化され,長春鉄道・旅順・大連の中国返還,3億ドルの中国への借款 (しやつかん) 供与などを規定。有効期限は30年。中ソ論争以後は空文化した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android