両都両港開市開港問題(読み)りょうとりょうこうかいしかいこうもんだい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「両都両港開市開港問題」の意味・わかりやすい解説

両都両港開市開港問題
りょうとりょうこうかいしかいこうもんだい

幕末期の江戸大坂開市と兵庫・新潟の開港期日延長についての外交問題。1858年(安政5)の安政(あんせい)五か国条約によって江戸は1862年1月(文久元年12月)、大坂は63年1月(文久2年11月)に開市し、兵庫は63年1月(文久2年11月)、新潟は60年1月(安政6年12月)に開港することが決められた。しかし、開港後の物価高騰と、尊王攘夷(じょうい)運動の激発、朝廷の兵庫開港と大坂開市に対する強い反発のために、朝廷懐柔・公武合体により政局切り抜けを図る幕府は、イギリス公使オールコックらに開市開港の延期を提議した。オールコックも攘夷事件の頻発に対処する必要からこれを了承し、62年幕府は、正使竹内保徳(たけのうちやすのり)らの遣欧使節を派遣した。同年ロンドン覚書、パリ覚書などが結ばれ、通商の促進などを条件として開市開港の五か年延期が決まった。63年幕府は尊王攘夷運動に対処するべく、横浜鎖港を提議し、また貿易制限を図ったために列強諸国の反発を招き、開市開港問題が再燃した。65年(慶応1)列強艦隊は兵庫沖に集結し、条約勅許・税率改正・兵庫開港を求め、朝廷も条約を勅許し、また税率が引き下げられた。67年6月には、1868年1月1日(慶応3年12月7日)の江戸・大坂の開市と兵庫開港が公布され、大政奉還後、江戸開市・新潟開港はさらに3月に延期された。

[井上勝生]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android