世論(よろん)(読み)よろん(英語表記)public opinion 英語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「世論(よろん)」の意味・わかりやすい解説

世論(よろん)
よろん
public opinion 英語
öffentliche Meinung ドイツ語
opinion publique フランス語

「せろん」ともいう。社会的争点に対する市民(公衆)の意見の高まりが、討論を経て合意の層を広げ、民意を示す形で政治的影響力をもつ多数意見をいう。それゆえ世論機能の発揮は近代以降のことで、公衆の意見形成の前提にはジャーナリズムが、意見表明の動機には自由主義が、また主張の表明と主張内容の達成を期す公衆の側には民主主義が、ともに成熟していなくてはならない。

[佐藤智雄]

世論の前史

近代以前にも世論に準ずる民衆の意見機能はみられた。「民の声は神の声」vox populi, vox Dei(ラテン語)というローマ時代の格言は世論の原型とされてきたが、同時に「民衆の意見は二重なりvulgaris opinio est duplex。厳粛で思慮深き人々の意見は多くの真実を含み、軽薄で卑俗な人々の意見はなんら真実を含まないから」ともいわれ、民の声がつねに神の声でないことが警告されていた。世論の萌芽(ほうが)は17世紀以降にみられ、社会契約説を批判したテンプルSir William Temple(1628―99)は『政府論』(1672)で、あるべき政治的権威の根拠を社会の支配的意見に求めた。批判されたJ・J・ルソーは普遍意思を説いたが、これも世論の代替性に富む形で法の遵守を説くもの。これらは多少とも世論の原型に近いが、共通の発想は上からの支配の正当性legitimacyの根拠を民衆の意見の動向と結び付けようとするところにあった。フランス革命当時の大蔵大臣ネッケルは国家財政の再建を計画し、上層市民の反対意見で失脚する。のち復職し、ふたたび財政再建を試みたとき、サロンを開放して世論づくりに気を配った。これも上からの世論対策であった。ネッケルは「制度を補強または脆弱(ぜいじゃく)化するものは世論」だとの経験的世論観をもち、「世論の力の増大化に注目」した。F・テンニエスはネッケルを、世論の威力を発見しその利用法をみいだした人とみる。

[佐藤智雄]

近代世論の機能

権力の側から民意としてとらえられる世論概念が市民革命の前夜までのものとすると、市民革命後の近代社会に入り世論の機能は変わる。市民は、民主主義権力の正当な担い手で、つまり対等な立場で発言し、討論の自由な波動源泉となる討論集団の成員という形では公衆である。公衆は古典的民主主義を支える「財産と教養ある人々」のもつ意見・討論機能の理想化であり、C・W・ミルズのいう公衆社会は彼らを成員とする。そこでの無数の討論集団は世論形成の偉大な装置と考えられた。「人々は問題を提示され、それらを討論し、それらに対して決定を下し、見解を定式化する。諸見解は組織され互いに競争し、ある一つの見解が勝利を収める」(『パワー・エリート』1956)。勝利を収める見解(多数意見)が世論である。この見解は「実施され」または「代表たちがそれを実行する」。そこに世論の政治的・社会的な影響力が生ずる。

 このような世論の形成過程で、公衆を群集に対比させながら理想化し、公衆の意見形成や討論過程に新聞の役割、情報による問題提示機能を強調したのはJ・G・タルドであった(『世論と群集』1901)。確かに世論はジャーナリズムから争点を受け取り、討論で共通の見解を定式化し、多数意見として政治的決定過程に影響を与えるという図式は、まさに下(公衆の側)からの世論形成である。政治的影響力をもつ世論機能には討論参加する公衆の均質性が前提であった。古典的民主主義の時代には、この型の世論の形成とその影響力に「抑制と均衡(チェック・アンド・バランセズ)」をみた。しかしそれはどこまでも18~19世紀型世論である。個々の意見の表明者として市民=公衆の討論を経た多数意見の流れは、社会へも政治へも影響を与えたが、この型の世論の根底には、市民=公衆のもつ見識の均質性、新興ブルジョアジーとしての階級的威信(財産と教養ある人々)があることを無視できない。

[佐藤智雄]

大衆社会の世論

W・リップマンが名著『世論』(1922)で一貫して説いたのは上記の型の世論への疑問である。人はかならずしも外界の変化とは一致しない社会像を頭に描く。この諸個人のさまざまな意見がいかにして世論になりうるか、と問う。事実、20世紀に入り世論信仰は後退する。世論はたてまえ化し、政治家は政策が国民の支持を得たかのような免罪符として「世論」を口にする。またイデオロギー上の敵手に対しても、たとえば「国鉄、世論を意識、厳しい処分(千葉動労に)」、「米が核実験、世界世論への侮辱、タス通信強く非難」(ともに1986)など。したがって20世紀の世論は形骸(けいがい)化し、下からの自噴的活力をもつ自律的世論の衰退は、容易に政治権力の側からの作為を許す他律的世論にとってかわられる。操作された世論がそれである。自律的世論の衰退はミルズの指摘するように、大衆社会では合理的討論が専門家の発言力によって、また議論内容が発言者の利害主張と非合理的アピールの効果によって、世論の権威を失墜させてきた。

 これらの変化は、20世紀が理念としての公衆社会とは似ても似つかぬ大衆社会だというところに発している。意見の担い手は大衆民主主義のなかで極限まで動員されるが、逆に担い手としての均質性を失い、価値観の多様化、争点への傍観視化が世論形成の地盤を弱めている。争点の所在を示す情報伝達のためのマス・メディアはいよいよ多様化し、原事実を伝える情報の質も量も一様ではない。その反面、マス・メディア側の情報収集力と受け手への影響力はいよいよ大きく、世論操作への潜在的能力が増しているだけではない。マス・メディアが現実に「世論メーカー」の役割を演じていることも注目される。その意味で大衆社会状況下の世論はけっして死滅してはいないが、その形成規模と影響力とをひどく限定されたものにしている。全国民的な利害をもつ問題の発生時などは、例外的に国民的、国際的規模の世論をみることもあるが、日常的に機能している現代世論の形成基盤は、地域、職業、各種階層内での争点にとどまるといえよう。

[佐藤智雄]

『高橋徹編『世論』(1960・有斐閣)』『J・G・タルド著、稲葉三千男訳『世論と群集』(1964・未来社)』『C・W・ミルズ著、鵜飼信成他訳『パワー・エリート』上下(1969・東京大学出版会)』『W・リップマン著、掛川トミ子訳『世論』上下(岩波文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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