世界地理書(読み)せかいちりしょ

改訂新版 世界大百科事典 「世界地理書」の意味・わかりやすい解説

世界地理書 (せかいちりしょ)

江戸時代における世界地理の書をいう。日本では古来,本朝,唐,天竺の3国をおおむね全世界と考えてきたが,戦国時代末からのヨーロッパ人の渡来により,広大な世界の存在や地球説,世界図を知ることになった。しかし,鎖国以前の世界地理書は見当たらない。なお江戸初期以来長く日本人の世界地理の基礎となったのは,明末清初の中国に在留した耶蘇会士マテオ・リッチ(利瑪竇(りまとう))の《坤輿(こんよ)万国全図》とその地誌的記載,アレーニGiulio Aleni(艾儒略(がいじゆりやく))の《職方外紀》,フェルビースト(南懐仁)の《坤輿外紀》などである。鎖国後,海外通交時代の遺産であり総括ともいうべき長崎の西川如見の《華夷通商考》(1695,増補1708)が出現した。海外諸国への道程物産風土などを記した商業世界地理書で,海外知識の普及に大きく貢献した。やや遅れて新井白石は潜入宣教師シドッチ尋問を機に《采覧異言》(1713序)を著し,その死の直前まで補訂を続けた。西洋諸国を知って禁教を厳にするための学術的な鎖国地理書である。公刊されず識者の間に伝写されたが,その影響は大きい。

 18世紀後半の蘭学興隆期になると,蘭書から紹介された実証的世界知識が増大する。長崎ではオランダ通詞吉雄耕牛,本木良永,松村元綱,志筑忠雄らが新知識を続々翻訳した。長崎を訪れて世界地理に関心を深めた人も多い。江戸では前野良沢を先頭に海外地理を研究紹介する蘭学者が続出した。中でも朽木昌綱労作泰西輿地図説》(1789)は当時最高の西洋諸国誌であった。ロシアの接近とともにその関係の訳著も盛んになった。桂川甫周の《北槎聞略(ほくさぶんりやく)》(1794成立)や大槻玄沢の《環海異聞》(1807成立)は,漂流民の実地見聞を素材とした点で異例の専門海外地理書である。玄沢門下の山村才助は世界地理研究の代表者で,多数の蘭書を翻訳して《訂正増訳采覧異言》(1803成立)を著した。学術的評価は高く,識者の間に伝写された。ついで青地林宗が《輿地誌略》(1826成立)や大作《輿地志》(1827成立)を訳述したが,流布は少なかった。世界知識の普及に役だったのは通俗的地理書の類の刊行である。森島中良の《紅毛雑話》(1787),《万国新話》(1789)や司馬江漢の《地球全図略説》(1793),《和蘭通舶》(1805)等々である。一方,実証的な天文地理への反対論の代表,釈円通の《仏国暦象編》(1810)や,庶民の空想をそそる奇怪な通俗世界地理書も刊行された。幕末期に入ると蘭学者の研究はますます詳密になり,箕作(みつくり)省吾の《坤輿図識》(1845),《坤輿図識補》(1846),その死後父の阮甫(げんぽ)が著した続編の《八紘通誌》(1851),杉田玄端の《地学正宗》(1851)は広く普及した。また対外危機の切迫につれ,政治的見地からの研究も多くなった。ペリー来航後は,世界地理関係書が最も多く出版されたが,中国の魏源の《海国図志》や中国在留宣教師の《地理全志》《地球説略》《瀛環志略(えいかんしりやく)》などの輸入,複刻,翻訳も盛行した。福沢諭吉の《西洋事情》(1866)は新時代への画期的な啓蒙書となった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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