出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
中国,五代後周の第2代皇帝。在位954-959年。姓名は柴栄。太祖郭威の柴皇后の甥で,太祖の養子となり,34歳で帝位を継いだ。老弱兵を大量に整理し,地方節度使管下の部隊から精鋭を抽出して中央に集中し,さらにそのうちの優秀なものを集めて殿前諸班という親衛部隊を編成した。この禁軍の大改革で五代最強かつ厳正な軍隊をつくり上げ,統一事業を推進した。まず後蜀を討って軍馬供給地を含む4州を取り,ついで南唐を攻めて淮南・江北14州を奪取した。この産塩地帯を押さえることで長江(揚子江)上流諸国は死命を制せられることになった。北に転じて契丹(きつたん)から燕雲十六州の失地回復に着手,瓦橋関以南の3州を奪還し,さらに北進して幽州に迫りながら病没,統一事業は半ばにして未完に終わった。内政面でも,廃仏を断行して大量の仏像を貨幣に改鋳し,《大周刑統》を制定し,均税を行って農業生産の回復を図るなど,宋による統一の基礎は世宗によってほぼ作り上げられた。五代第一の名君と称せられる。
→五代十国
執筆者:愛宕 元
朝鮮,李朝第4代の国王。在位1418-50年。本名は李祹(りとう)。太宗の第3子。内外政に治績をあげて李朝の基盤を固め,後世,〈海東の尭舜〉とたたえられる。農業を重視し,《農事直説》という農書を編纂させ,田制詳定所を設けて田制の改革を行った。文化事業も盛んに推進し,《訓民正音》(朝鮮文字,ハングル)を作成させ,《高麗史》《高麗史節要》《竜飛御天歌》《資治通鑑訓義》などの編纂事業と並行して銅活字を鋳造させた。また高麗時代に勢力をもった仏教を統制して禅・教2宗に統合する一方,儒学をすすめ,《治平要覧》《五礼儀》《三綱行実》などを編纂させた。対外政策も積極的に進め,豆満江,鴨緑江まで領土を拡大して南部地方の住民を移住させ,さらに倭寇の本拠地を壊滅させるべく対馬を攻撃(応永の外寇)したが,のちに三浦(さんぽ)(乃而(ないじ)浦,富山浦,塩浦)を開港し,対馬島主宗氏を介して日本との勘合貿易を開始した。
執筆者:吉田 光男
中国,金朝第5代の皇帝。在位1161-89年。完顔雍(女真名烏禄)。1161年(正隆6),海陵王が無謀な南宋討伐を企ててひきおこした動乱の最中に,当時東京留守の任にあった世宗は海陵王に不満をもつ女真人や渤海人に推されて遼陽で即位した。海陵王が兵士に殺された後,同年世宗は中都(現,北京)に進出して,まず契丹人の反乱を収拾し,宋と和議を結んで(1165)平和を回復した。そして物力銭など新しい経済政策を実施する一方,経費を抑えて国家財政をたて直し,また地方官に人材を抜擢して民生の安定につとめた。矛盾が大きくなった猛安謀克(もうあんぼうこく)制に対しても改革を断行して再建をはかった。世宗の治世は金の全盛時代で,世宗はのちに小尭舜とたたえられた。
執筆者:松浦 茂
→嘉靖帝
→雍正帝
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