与謝蕪村生誕地(読み)よさぶそんせいたんち

日本歴史地名大系 「与謝蕪村生誕地」の解説

与謝蕪村生誕地
よさぶそんせいたんち

[現在地名]都島区毛馬町三丁目

天明俳壇の革新者として、また南宋画の開拓者として知られる与謝蕪村は享保元年(一七一六)毛馬けま村の農家で生まれた。本姓谷口、のち与謝。一八歳の頃江戸に出て早野巴人俳諧を学び、寛保二年(一七四二)師の没後、下総結城ゆうき砂岡雁宕のもとに身を寄せ一〇年間関東・東北を放浪して俳諧と画技を練った。宝暦元年(一七五一)京都に移り、次いで丹後与謝地方に四年余を過ごし、帰京後は画業に専念。俳諧については明和三年(一七六六)「三菓社」結成の頃から創作が活発となり、同八年巴人の夜半亭を継いでいる。天明三年(一七八三)京都で没、六八歳。

<資料は省略されています>

の句で始まる長篇詩「春風馬堤曲」は安永六年(一七七七)、藪入りで一人の女性が毛馬堤を故郷へ急ぐ情趣を、彼女に代わって記すという設定で、蕪村自身の毛馬に対する郷愁の念を綴ったものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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