与論島(読み)ヨロントウ

デジタル大辞泉 「与論島」の意味・読み・例文・類語

よろん‐とう〔‐タウ〕【与論島】

鹿児島県奄美あまみ群島最南端の島。隆起サンゴ礁からなる。サトウキビを栽培。面積21平方キロメートル。よろんじま。

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精選版 日本国語大辞典 「与論島」の意味・読み・例文・類語

よろん‐とう ‥タウ【与論島】

(「よろんじま」とも) 鹿児島県、奄美諸島最南端の島。一島で与論町をなす。低い隆起珊瑚礁の島。面積二一平方キロメートル。

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日本歴史地名大系 「与論島」の解説

与論島
よろんじま

奄美諸島の最南西端に位置する島。北東に沖永良部おきのえらぶ島、南西に沖縄島がある。世論とも記した。「海東諸国紀」の琉球国之図に「与論島 去度九三十五里去琉球十五里」と記されているが、奄美のほかの四島と異なって当島には「属琉球」の記載がない。「中山世譜」首巻によれば、琉球三十六島のうちとして由論(与論と俗称)と記されている。「列朝制度」によれば、島の周り三里五町で、鹿児島から二八七里半、沖永良部島までは一八里という。なお「三州御治世要覧」では与論島を含めて「道之島五島」であるとしているが、奄美歌謡の新ナガレ歌に「とぅく いらぶ よろんや なはぬ じうち」(徳之島、永良部島、与論島は那覇の地の内)と謡われている。

〔位置と自然的条件〕

北緯二七度、東経一二八度二〇分付近にあり、約二五キロ離れる沖縄島は晴天の日にはその島影が見える。周囲二三キロ、面積二〇・四八平方キロで、最高点は九七・二メートル。島の長軸は西北西―東南東に延び、約六・八キロ、それに直交する短軸は約四・五キロ。長軸方向の西手には南北両側に大きな湾入、つまり供利とうむい湾と茶花ちやはな湾があり、それにより半島状の突出部ができている。島の基盤岩となっているのは沖永良部島と同じく中生代四万十累層群の緑色岩類と頁岩優勢の互層で、長軸にほぼ平行に走る断層を境に南側の部分に多く現れている。この断層に斜交するように北北西―南南東の走向をもつ断層が四条ほど入っており、島の地形は大きく四ブロックに分けられる。基盤岩以外は、大部分が新生代第四紀に堆積した琉球層群の主体である石灰岩によって覆われ、ごく一部に段丘礫層や砂丘砂層が分布している。これらはいずれも完新世になって堆積したもの。北東部は東海岸のごく狭い部分が砂丘砂層からなる以外はほとんどが琉球石灰岩の東に向かって傾く台地状地形で、その南側はほぼ東西に延びる断層を境に平坦地がある。西側部分には小起伏の平地が続き、島の約三分の一の面積を占める。東の沖合三キロ付近に堡礁が形成され、奄美諸島のなかでも特異な地形景観を示しているが、最も広い部分には百合ゆりヶ浜とよばれる干潟が海面の昇降によって見え隠れする。年平均最低気温は摂氏二〇度以上と暖かく、亜熱帯そのもの。年平均降水量は約一七七〇ミリで、島の規模や標高の低いことから奄美諸島では最も少ない。珊瑚礁の白い海岸とコバルトブルーの海は薩南諸島でも優れた景観となっており、奄美群島国定公園に含まれている。

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百科事典マイペディア 「与論島」の意味・わかりやすい解説

与論島【よろんじま】

奄美諸島(2010年3月より奄美群島)最南端に位置し,北東に沖永良部(おきのえらぶ)島,南西に沖縄島がある。〈世論〉とも記された。鹿児島県与論町をなし,面積20.56km2。全島隆起サンゴ礁からなり,平坦である。内陸部にはカルスト地形が発達している。 《おもろさうし》に古名〈かゑふた〉がみえる。1266年英祖王に貢納して以来琉球に帰属したという伝承がある。1405年琉球北山(ほくざん)惟尼芝王の三男王舅が世の主(よのぬし)として来島し与論城を築いたといい,1512年には首里(しゅり)から国王尚真の次男尚朝栄が来島,ノロを主宰者とする祭政一致の政治制度が確立したと伝える。1609年島津氏琉球侵攻により,琉球王国の統治下から鹿児島藩直轄領となる。近世後期になって2つの間切(まぎり)に分かれた。1879年大島郡に所属。 主な作物はサトウキビで,カボチャの栽培も行われる。サンゴ礁の白い海岸とコバルトブルーの海を背景に,観光関連産業が発展した。与論空港与論港も整備された。
→関連項目奄美群島国定公園薩南諸島南西諸島

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改訂新版 世界大百科事典 「与論島」の意味・わかりやすい解説

与論島 (よろんじま)

鹿児島県最南端の島。奄美諸島に属し,沖縄島(本島)の北約25kmに位置する。地元では〈ユンヌ〉と称する。1島で大島郡与論町を構成する。人口5327(2010)。面積約22km2の低平な島で,最高所は標高97m。全島が隆起サンゴ礁からなり,島の周囲には堡礁や裾礁が発達している。農業が基幹産業で,水稲は栽培されなくなり,主作物はサトウキビであるが,最近はカボチャの栽培も盛んで島外への出荷も多い。

 1609年(慶長14)の薩摩藩の琉球征服以前は,沖永良部(おきのえらぶ)島や徳之島などの奄美諸島とともに琉球王国の影響下にあった。第2次大戦後,沖縄の本土復帰(1973)までは日本最南端の島として人気を集め,観光地として発展した。復帰後も,白砂の浜とエメラルド色の海が織りなす南国的な景観を求めて京阪神地方などから訪れる若者が多く,観光も島の重要な産業となっている。鹿児島港から定期船が約20時間で通う。以前は港の設備が整っていなかったが,1979年に1万トン級バースをもつ与論港が立長(りつちよう)にできて,大型客船が直接接岸できるようになった。空港も1976年に茶花(ちやばな)に完成し,鹿児島空港とは1時間20分で結ばれているほか,那覇空港からも不定期便が就航している。琉球王朝時代の与論城(ぐすく)跡には琴平神社がある。海岸の大部分は奄美群島国定公園に指定されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「与論島」の意味・わかりやすい解説

与論島
よろんじま

北緯27度、東経128度24分、薩南諸島(さつなんしょとう)の一島で、鹿児島県最南の位置にある。大島郡与論町。約23キロメートル隔てた南には沖縄島がある。周囲23.7キロメートル、面積20.58平方キロメートル、最高点は97.1メートルで低平な地形である。南西部の一部を除き琉球(りゅうきゅう)石灰岩で覆われ、周囲はサンゴ礁で囲まれる。また島内随所でカルスト地形がみられる。亜熱帯性気候を生かしてサトウキビや野菜の促成栽培が盛ん。カボチャの生産はよく知られている。奄美(あまみ)群島国立公園に属し、夏にはサンゴ礁とコバルトブルーの海を訪れる観光客が多い。2015年(平成27)の国勢調査の人口5186。

[塚田公彦 2019年5月21日]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「与論島」の意味・わかりやすい解説

与論島
よろんじま

鹿児島県南部,奄美群島の最南端に位置する島。「よろんとう」ともいう。1島で与論町を構成。隆起サンゴ礁からなる,最高点 97mの低平な島で,東半部には隆起堡礁が数列みられ,その周囲を取り巻くように堡礁が発達。古くは琉球王国に属し,島津氏の琉球征服以後は奄美の一部として薩摩藩領となったが,言語,民俗などに沖縄島などとの類似がみられる。主産業は農業で,おもにサトウキビ,カボチャを栽培。中心地区は北西部の茶花(ちゃばな)で,ここに港があり,鹿児島―那覇の大型定期船が寄港。また茶花の東には与論空港がある。海岸景勝地をはじめとする観光資源が豊富で,夏は観光客が多い。海岸は大部分が奄美群島国立公園に属する。面積 20.47km2。人口 5731(2005)。

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