下都賀郡(読み)しもつがぐん

日本歴史地名大系 「下都賀郡」の解説

下都賀郡
しもつがぐん

面積:三一一・五三平方キロ
石橋いしばし町・国分寺こくぶんじ町・壬生みぶ町・都賀つが町・岩舟いわふね町・大平おおひら町・藤岡ふじおか町・野木のぎ

県南部のほぼ中央を占める。栃木市・小山おやま市域はかって当郡に含まれていた。現在の郡域は両市により郡の北西部から南東部にかけて分断され、北側に都賀町・壬生町・石橋町・国分寺町、南側に大平町・岩舟町・藤岡町・野木町が位置する。北は上都賀郡西方にしかた村、鹿沼市・宇都宮市、東は河内かわち上三川かみのかわ町・南河内町、西は安蘇あそ葛生くずう町・田沼たぬま町、佐野市と接し、南は群馬県邑楽おうら板倉いたくら町、埼玉県北埼玉郡北川辺きたかわべ町、茨城県古河市・猿島さしま総和そうわ町と接する。

足尾あしお山地が郡北西部に延びるが、これという高山はなく、栃木市境の大平町・岩舟町に晃石てるいし(四一九・一メートル)馬不入うまいらず(三四五・二メートル)があり、太平山おおひらさん県立自然公園となっている。それ以外は関東平野に続く広大な平地で、とくに近代に入る以前は低湿地であった地域が多い。現在も藤岡町域を中心に残る渡良瀬遊水地は渡良瀬川の流域であり、郡内の主要河川はすべてこの川に注ぐ。都賀町に入ったおもい(小倉川)は、壬生町南端でくろ川を合せ、石橋町・国分寺町を南流する姿すがた川を小山市域で合せる。思川の西を流れる巴波うずま川は都賀町を流れる赤津あかづ川を栃木市域で、大平町を流れる永野ながの川を郡南部で合せる。なおこれらの河川を集めた渡良瀬川は藤岡町のすぐ南で利根川と合流する。郡の東部を東北新幹線・JR東北本線および国道四号、西部を東北自動車道、南部を国道五〇号、北部を国道二九三号・同三五二号が通り、また栃木市を中心にJR両毛線および東武日光線・同宇都宮線が延びている。

都賀郡は明治一一年(一八七八)都賀郡が分れたことにより成立したが、それ以前は上都賀郡と合せて都賀郡として推移した。都賀の名は平城宮跡出土木簡に「都賀」とあるほか、天平勝宝四年(七五二)一〇月二五日の造東寺司牒(正倉院文書)に「都賀郡高栗郷五十戸」とみえる。近世には現佐野市の一部が都賀郡に属し、逆に現岩舟町の一部が安蘇郡に属した。なお現小山市域の一部に寒川さむかわ郡が成立していた。

〔原始・古代〕

野渡のわた貝塚(野木町)篠山しのやま貝塚(藤岡町)は関東最北部に位置する縄文時代の貝塚として著名であり、思川に面した羽生田はにゆうだ遺跡(壬生町)や渡良瀬川に面した後藤ごとう遺跡(藤岡町)などは、縄文時代後期・晩期の良好な資料を出土している。弥生時代では後期の伯仲はくちゆう遺跡(大平町)が知られる。古墳時代以降になると県を代表する遺跡が多く、国指定・県指定の史跡が散在する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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