下繁田村(読み)しもしげたむら

日本歴史地名大系 「下繁田村」の解説

下繁田村
しもしげたむら

[現在地名]稲垣村下繁田

岩木川左岸の旧堤防沿いに東西に発達する。北の対岸田茂木たもぎ村、東は蘆野あしの渡により蘆野村(ともに現北津軽郡中里町)へ通じ、西は下車力したしやりき(現車力村)

文政元年(一八一八)蘆屋あしや(現木造町)の太次郎と伝次郎、川除かわよけ(現木造町)の伝九郎、野末のすえ村の四五右衛門、家調かちよう村の孫右衛門らが移住し、五反歩ずつ与えられて開墾したのが開村という(稲垣村史)。同七年移住戸数が一三に増え、村名がつけられ(西津軽郡史)、広須組に属した。天保五年(一八三四)の郷村帳によれば、文化九年(一八一二)に一七一・二石、文政二年(一八一九)に四〇・七石の新田高が書上げられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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