20世紀日本人名事典 「下田 歌子」の解説
下田 歌子
シモダ ウタコ
明治〜昭和期の女子教育家,歌人 華族女学校教授;実践女子学園校長。
- 生年
- 嘉永7年8月8日(1854年)
- 没年
- 昭和11(1936)年10月8日
- 出生地
- 美濃国恵那郡岩村(岐阜県岩村町)
- 旧姓(旧名)
- 平尾
- 別名
- 幼名=平尾 銘(ヒラオ セキ)
- 経歴
- 明治4年上京、祖父の東條琴臺に師事、5年から7年間宮中に仕え、宮内省十五等出仕、8年権命婦となった。皇后に和歌を献じ歌才にちなんで歌子の名を賜わる。12年辞職し、東京府士族下田猛雄と結婚したが数年で夫に死別。14年桃夭女塾を創設、華族の子女を教育。17年宮内省御用掛となり、18年華族女学校(学習院女学部の前身)創設で同校幹事、教授となった。以来20余年間、華族子女の教育に貢献。26年欧米に出張、28年帰国。31年帝国婦人協会を創設、会長となり、32年実践女学校(実践女子大学の前身)、女子工芸学校を創立、実践女子学園校長を務めた。39年華族女学校が廃止され改めて学習院教授兼女学部長となった。大正9年社団法人・愛国婦人会会長となり全国を講演旅行。上流社交界で明治の紫式部といわれ、宮中に隠然たる勢力を持つ。従三位、勲三等。著書に「家庭文庫」「婦人礼法」「日本の女性」「香雪叢書」、歌集に「雪の下草」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報