下波田村(読み)しもはだむら

日本歴史地名大系 「下波田村」の解説

下波田村
しもはだむら

[現在地名]益田市下波田町

益田川支流の波田川中流域に位置し、南は上波田村、西は馬谷うまだに村、北は笹倉ささくら(現美都町)。下波多・下羽多とも書き、地名岩倉いわくら山に降臨した羽多津見命に由来するという(石見八重葎)。また「石見風土記」によれば、鳥が多数集まることで羽多ともいう。永和二年(一三七六)四月二二日の益田本郷御年貢并田数目録帳(益田家文書)に次郎大夫名・上藤太名の所在地として「下波田」がみえる。また文禄四年(一五九五)一二月二七日の益田又兵衛当知行付立(同文書)に「奥郷疋見、澄川、波田」とみえる。江戸時代の支配の変遷は益田村と同じ。元和五年(一六一九)の古田領郷帳に下はだ村とみえ、高三六五石余、年貢高は田方一五〇石余・畑方一八石余。

下波田村
しもはたむら

[現在地名]波田町下波田

江戸時代の松本藩領島立しまだち組の一村で、上波田村の東に接している。

天正検地の際は上波多村を含む波多郷として一千三八石四斗二升六合と高付けされ、寛永六年(一六二九)上波多村・下波多村に分れ、慶安五年(一六五二)検地の際は下波多村八八八石六斗五升八合となった。天保五年(一八三四)の高付帳には下波田村と名称を変えている。「信府統記」によると「御朱印高六百五拾五石五斗三升九合」、享保九年(一七二四)当時の石高は九一四石一斗一升八合とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android