下天妃宮跡(読み)しもてんぴぐうあと

日本歴史地名大系 「下天妃宮跡」の解説

下天妃宮跡
しもてんぴぐうあと

[現在地名]那覇市東町

近世の久米村南部、那覇東なーふあひがし村境にあった廟。現在の西消防署付近にあったという。シチャテンピグーとよび、下之天后宮・下天妃廟ともいった。天妃は船舶航海安全を祈願した女神で、中国の媽祖信仰に由来。北の上天妃宮と合せて単に天妃宮ともよぶ。創建について「琉球国由来記」は廟内の古い板に永楽二二年(一四二四)造とあったとし、また尚泰久王が景泰八年(天順元年、一四五七)銘の鐘を寄進していることから、永楽年間に創建されたのは疑いないとしている。「球陽」では尚巴志王三年(一四二四)の創建とされる。「李朝実録」世祖八年(一四六二)二月癸巳条によると、琉球の使者普須古の言に海辺に「天妃娘娘殿」を造るとあり、発船すれば馬猪を斬って祀り、舟が風浪に遭えば天妃を念ずるとあり、当時天妃宮の近くまで海岸線が迫っていたものと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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