下大森村(読み)しもおおもりむら

日本歴史地名大系 「下大森村」の解説

下大森村
しもおおもりむら

[現在地名]八日市市大森町おおもりちよう

尻無しなし村の東にあり、南の布引ぬのびき山から北の平地林原野までを占める。集落蛇砂へびすな川北部の本村布引山麓の大森神社鳥居前にある枝村ひら尾の二集落からなる。応安七年(一三七四)六月五日の市庭沙汰用途請取状(今堀日吉神社文書)には、「大もり七郷」より三貫文が納められたとある。永正一四年(一五一七)一〇月一七日の今堀勧進猿楽能に、下大森から太刀三振が寄進されている(「勧進猿楽日記」同文書)

当地の足子商人は下大森商売衆の名で保内商人に属した。天文二年(一五三三)一〇月五日に記された下大森商売衆連署書状(今堀日吉神社文書)には、村組を表すとみられる二石の肩書をもつ左衛門太郎をはじめ、北出二名・東出二名・中垣内三名・中小路一名の計九名が連署している。この書状で九名が下大森は今堀惣中の足子であることを確認、蛇溝へびみぞ郷と足子関係を結んだことを否定した。同じ頃のものとみられる年未詳九月二二日付の下大森商売衆惣分書状案(同文書)では、商売年貢銭と九里半くりはん街道をめぐる訴訟費用を分担した際、蛇溝から足子年貢銭納入を求められ承諾したことを述べている。下大森の足子商人の帰属と足子年貢銭徴収をめぐり、今堀いまぼり郷と蛇溝郷の間に争いがあったことがわかる。天文二年一二月になって近隣の有力者たちによって毎年年貢銭四〇〇文を今堀郷から蛇溝郷へ渡すことで調停しようとする動きがあり(同年一二月一九日「八日市新兵衛等連署請状」同文書)、同四年五月一三日蛇溝側は四〇〇文の替地として菜畑四畔を受取ることで、下大森足子にかかわる権利を手放すことを今堀側に伝えた(「蛇溝郷村人連署請状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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