下城弥一郎(読み)しもじょう・やいちろう

朝日日本歴史人物事典 「下城弥一郎」の解説

下城弥一郎

没年:明治38(1905)
生年嘉永6(1853)
明治期の群馬県伊勢崎の有力織元,買継商,織物同業組合長。諱は茂実。代々機業取締の家に生まれ,輸入化学染料の誤用による粗悪品を防ぐため,明治14(1881)年同業団体「伊勢崎太織会社」(のちの「伊勢崎織物同業組合」)を組織し,組合検査証を製品に貼付した。伊勢崎絹織物はこれを機に全国的に有名となり,のちに伊勢崎銘仙の大流行を招来した。25年緑綬褒章を受章。28年買継商を開業。また染織技術者育成の要を陳情し,国庫補助金を得て,29年伊勢崎染織学校(のちの県立工業学校)を設立。県会議員2期,さらに県会議長も勤めた。<参考文献>『伊勢崎織物同業組合史』,『佐波郡史』

(大島栄子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下城弥一郎」の解説

下城弥一郎 しもじょう-やいちろう

1853-1905 明治時代実業家
嘉永(かえい)6年3月9日生まれ。家は代々上野(こうずけ)(群馬県)伊勢崎藩の領内機業取締をつとめる。明治14年伊勢崎太織(のちの伊勢崎織物同業組合)を創立し,品質管理をはかり,伊勢崎銘仙の振興につくす。のち伊勢崎染織学校を創設。県会議長をつとめ,各種の公共事業にも貢献した。明治38年12月12日死去。53歳。名は茂実。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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