下垂川村(読み)しもたるかわむら

日本歴史地名大系 「下垂川村」の解説

下垂川村
しもたるかわむら

[現在地名]湯川田川たがわ

湯川左岸に位置し、南は上垂川村、東は湯川を隔てて笠目かさのめ村、西は勝常しようじよう村に接する。「会津旧事雑考」によれば、応永二二年(一四一五)八月二四日に「樽川禅定寺」の鐘ができあがっている。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に下樽川とあり、高四九二石余。文化一五年(一八一八)の村日記では高六一一石余。化政期の家数は本村二五のほかに小名扇田おうぎだは五区に分れて計三三(新編会津風土記)幕末扇田村などを分出し、旧高旧領取調帳では高二七一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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