下名川村(読み)しもながわむら

日本歴史地名大系 「下名川村」の解説

下名川村
しもながわむら

[現在地名]朝日村下名川

上名川村の北西梵字ぼんじ川の左岸に位置する。地内に名川城跡があり、天正一六年(一五八八)十五里ヶ原の戦で越後村上城主本庄繁長の軍に攻められ、一千名余の最上勢が討たれ落城したと伝えるが、同一七年と推定される六月二日の来次氏秀書状写(阿部正己資料所収文書)でも「谷川と申地」で数千人の最上勢が討たれたことが記されており、当地のことと思われる。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高二二〇石余。正保郷帳では田高二一六石余・畑高三石余。寛文三年(一六六三)には見付野新田の開発を願出ている(大泉紀年)。元禄九年(一六九六)には家数四四・人数三四三(「本郷組宗旨寺判指上帳」鶴岡市郷土資料館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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