上釜村(読み)かみがまむら

日本歴史地名大系 「上釜村」の解説

上釜村
かみがまむら

[現在地名]旭村上釜

東は鹿島灘に臨み、南は沢尻さわじり村。室町末期には子生こなじ郷の一集落としてあり、正覚しようがく院の本尊阿弥陀如来坐像裏銘に「天正二十年霜月 大吉日 常州鹿嶋郡子生郷上釜」と記される。江戸時代は天領で、江戸中期には鰯漁が繁栄し、幕府は鰯運上を課している。その後、鰯漁は不振となり、天明六年(一七八六)には鰯運上の減免を訴えており、「玉田・荒地・沢尻・上釜四か村鰯漁減免定納請状」(石崎家文書)に「近来打続不猟故年々弁納仕様々損金相立、網株退転仕り、漁業相続難相成由ニ付(中略)惣百姓経営ニも悉差障、難渋至極仕候間、何卒是迄上納地辻之内御引承被成下、田半掛相願候処」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報