朝日日本歴史人物事典 「上野岩太郎」の解説
上野岩太郎
生年:慶応3.8.1(1867.8.29)
明治後期から大正時代にかけての新聞記者。号は靺鞨。野口新作の長男として肥後国(熊本県)に生まれ,後に上野姓を継ぐ。星亨の書生をしたのち,明治22(1889)年『大阪公論』記者となる。『自由党党報』に非内地雑居派を攻撃する論説を書いた。『東京朝日新聞』の初代北京特派員として北清事変(1900)に従軍。日露戦争(1904~05)にも従軍し,37年9月30日付『東京朝日新聞』には上野撮影の遼陽戦の写真が掲載された。上野のもっとも得意としたのは戦地通信で,文章雄健にして精彩に富んだものであったという。38年『順天時報』社長となり,44年からは『新公論』を経営した。<参考文献>黒竜会編『東亜先覚志士記伝』下(復刻,1966)
(小宮一夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報