上野原(市)(読み)うえのはら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「上野原(市)」の意味・わかりやすい解説

上野原(市)
うえのはら

山梨県東部にある市。2005年(平成17)北都留(きたつる)郡上野原町、南都留郡秋山村(あきやまむら)が合併して市制施行、上野原市となる。北は北都留郡小菅(こすげ)村、西は大月市、都留市、南は南都留郡道志(どうし)村、東は神奈川県相模原市、北東は東京都西多摩郡檜原(ひのはら)村に接する。市域の大部分を急峻な山地が占め、中央部を桂川(かつらがわ)が東に流れ、北部を桂川の支流鶴(つる)川、鶴川の支流仲間(なかま)川が、南部を秋山川が流れる。集落は各河川の河岸段丘上と山麓傾斜地に形成される。桂川沿いに、JR中央本線、国道20号、仲間川沿いに中央自動車道が通り、同自動車道の上野原インターチェンジがある。

 河岸段丘上には縄文時代早期の仲大地遺跡(なかおおちいせき)をはじめ、縄文遺跡が多いが、弥生(やよい)時代の遺跡は少ない。古代には甲斐(かい)国都留郡の都留郷、古郡(ふるごおり)郷に属したとみられる。古郡郷は平安末期から鎌倉初頭にかけ、武蔵七党の一、横山党の一派で、内城館(うちじょうやかた)に拠った古郡氏が支配、和田義盛の乱で古郡氏が滅ぶと、加藤氏がこれを継いだという。加藤氏は戦国時代には武田氏に属し、甲斐と武蔵・相模との国境を守った。国境地帯の要地である当地には1426年(応永33)武田氏を追討する関東公方足利持氏(あしかがもちうじ)の軍勢が、1478年(文明10)には加藤氏を追討する太田道灌(どうかん)の軍勢が侵入、内城館を破り、鶴川一帯を焼き払っている。江戸時代には甲州道中が鶴川、仲間川に沿うように市域を横断、同道中の甲斐国初宿である上野原以下、鶴川、野田尻(のたじり)、犬目(いぬめ)の各宿が設けられた。とくに上野原宿では六斎市も開かれ、近在の商業の中心地として賑わった。しかし、明治時代になり、鶴川でも市が開かれるようになると衰退。山間部にあり、かつては林業、とくに木炭生産が主産業で、織物(甲斐絹(かいき))、養蚕なども盛んであった。近年は首都圏中央部から60~70キロメートルの立地、交通の便などを生かしたベッドタウン化が進み、弱電、精密機械工業などの工場も進出している。面積170.57平方キロメートル、人口2万2669(2020)。

[編集部]


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