上村松園(読み)ウエムラショウエン

デジタル大辞泉 「上村松園」の意味・読み・例文・類語

うえむら‐しょうえん〔うへむらシヨウヱン〕【上村松園】

[1875~1949]女流日本画家。京都の生まれ。本名津禰つね竹内栖鳳たけうちせいほうなどに師事し、四条派伝統に近代的感覚を加えた画風を確立した。昭和23年(1948)女性初の文化勲章受章。作「長夜」「月かげ」など。

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精選版 日本国語大辞典 「上村松園」の意味・読み・例文・類語

うえむら‐しょうえん【上村松園】

日本画家。京都生まれ。本名津禰。鈴木松年竹内栖鳳(せいほう)などに師事し、美人画を得意とした。昭和二三年(一九四八)女性で初めて文化勲章を受章。明治八~昭和二四年(一八七五‐一九四九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「上村松園」の意味・わかりやすい解説

上村松園
うえむらしょうえん
(1875―1949)

日本画家。本名津禰(つね)。明治8年4月23日京都に生まれる。1887年(明治20)京都府画学校に入学、鈴木松年(しょうねん)に師事したが、翌年中退して松年塾に入り、さらに幸野楳嶺(こうのばいれい)、ついで竹内栖鳳(せいほう)に学んだ。1890年第3回内国勧業博覧会で『四季美人図』が褒賞となり、その後日本美術協会、日本青年絵画共進会などに出品を続けて美人画に独自の境地を開いていった。1907年(明治40)の第1回文展で『長夜』が、翌年の第2回文展で『月かげ』が三等賞を受賞して画名が高まり、1915年(大正4)第9回文展で『花がたみ』が二等賞になり、翌年永久無鑑査に推された。さらに1924年帝展委員、1934年(昭和9)帝展参与、1941年帝国芸術院会員。1948年(昭和23)に女性としては初めての文化勲章を受けたが、翌昭和24年8月28日、疎開先の奈良県平城(へいじょう)村(現奈良市)の山荘永眠。その画風は四条派の伝統を基礎にしてそれに近代感覚を盛ったもので、良家の、あるいは町方の女性を主題に清新な作品を描き続け、前期の情緒的な表現から後期の理知的表現への変化を認めることができる。前期を代表するのは前記の初期文展出品の2作のほか『焔(ほのお)』『娘深雪(むすめみゆき)』などで、後期には『母子』『序の舞』『雪月花』『夕暮』『晩秋』などがある。日本画家の上村松篁(しょうこう)(本名信太郎)は実子

原田 実]

『上村松篁編『上村松園』別冊『青眉抄・青眉抄拾遺』(1976・講談社)』『上村松篁編『上村松園』(日経ポケット・ギャラリー)』『『現代日本美人画全集1 上村松園』(1977・集英社)』『草薙奈津子著『上村松園』(新潮日本美術文庫)』


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改訂新版 世界大百科事典 「上村松園」の意味・わかりやすい解説

上村松園 (うえむらしょうえん)
生没年:1875-1949(明治8-昭和24)

日本画家。本名津禰,京都四条通りの葉茶屋ちきり屋の次女として生まれるが早くに父を亡くし,画才を見抜いた母の手で育てられ,その才能は早くから店に立ち寄る文人墨客の間で話題になる。1887年京都府画学校に入学,翌年鈴木松年の門に入り,のち幸野楳嶺(こうのばいれい),竹内栖鳳(せいほう)に師事した。90年第3回内国勧業博覧会に《四季美人》を出品して受賞,画名を高め,1907年第1回文展に《長夜》を出品して評判となり,以後受賞を重ねた。初期の作品は浮世絵の影響が強かったが,男性に伍して写生旅行に耐え,古典を吸収すべく大量の縮図を手がけた。また漢詩,漢文を学び教養を深めるとともに,能楽に日本美の真髄を認めて画作に取りいれていった。しかし,その芸術を支え開花させたのは美人で働き者の母であった。狂女もの《花がたみ》に始まる女性心理をとりあつかった作品は,女の嫉妬を描いた《焰》において頂点に達し,《草紙洗小町》や《砧》に発展する。その背後には必ず母への思慕がある。とくに34年の《母子》と最晩年作の《夕暮》《晩秋》にそのおもかげが感じられ,働く日本女性の典型を絵画性豊かなものに昇華した。41年芸術院会員,48年には女性として最初の文化勲章を受けた。上村松篁(しようこう)はその子息。聞書きをつづったものに《青眉抄》がある。
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百科事典マイペディア 「上村松園」の意味・わかりやすい解説

上村松園【うえむらしょうえん】

女性日本画家。本名津禰(つね)。京都市生れ。鈴木松年,幸野楳嶺竹内栖鳳に師事し,四条派の技法を学ぶ。15歳で第3回内国勧業博覧会で褒状を受け,以後各種展覧会で受賞を重ね,1948年文化勲章。鏑木清方と並んで近代日本の美人画の代表的作家で,《母子》《焔》《晩秋》《夕暮》などを描く。子の上村松篁(しょうこう)〔1902-2001〕も日本画家で,1984年文化勲章。単純化された構成に静かな情感を漂わせた新しい花鳥画の表現に独自性がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上村松園」の意味・わかりやすい解説

上村松園
うえむらしょうえん

[生]1875.4.23. 京都
[没]1949.8.27. 奈良,平城
日本画家。本名は津禰 (つね) 。日本画家の上村松篁の母。 1887年京都府画学校入学。鈴木松年に師事。 90年第3回内国勧業博覧会で,『四季美人図』が褒状を受けた。それ以後日本美術協会,日本青年絵画共進会,京都新古美術展覧会などに出品して毎年入賞。 93年から幸野楳嶺,次いで竹内栖鳳に師事し,95年第4回内国勧業博覧会出品の『清少納言』 (北野美術館) ,1900年パリ万国博覧会入賞作の『母子』によって,女流画家としての名声を築いた。その後も文展に出品した美人画や時代風俗画が次々に入賞,格調ある近代美人画の完成者とされる。文展無鑑査,帝国芸術院会員,帝室技芸員となり,48年には女性として最初の文化勲章を受章。その他の主要作品『母子』 (1934,東京国立近代美術館) ,『序の舞』 (36,東京芸術大学) ,『草紙洗小町』 (37,同) ,『夕暮』 (41,鴨沂高等学校) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上村松園」の解説

上村松園 うえむら-しょうえん

1875-1949 明治-昭和時代の日本画家。
明治8年4月23日生まれ。はじめ鈴木松年(しょうねん)に,のち幸野楳嶺(こうの-ばいれい),竹内栖鳳(せいほう)にまなぶ。明治23年内国勧業博覧会で初受賞。以後文展で受賞をかさねた。優雅な作風の美人画で知られる。昭和16年芸術院会員。23年文化勲章。昭和24年8月27日死去。75歳。京都出身。京都府画学校中退。本名は津禰(つね)。作品に「母子」「序の舞」「晩秋」など。著作に「青眉抄」。

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旺文社日本史事典 三訂版 「上村松園」の解説

上村松園
うえむらしょうえん

1875〜1949
明治〜昭和期の女流日本画家
本名津禰。京都の生まれ。竹内栖鳳 (せいほう) らに師事,四条派の技法を根幹とする美人画を得意とした。1948年女性として最初の文化勲章受章。代表作に『花ざかり』『序の舞』『夕暮』など。

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