朝日日本歴史人物事典 「上杉氏憲の妻」の解説
上杉氏憲の妻
生年:生年不詳
室町時代の甲斐(山梨県)の武田信満の娘で,上杉氏憲に嫁して教朝を生む。氏憲が反乱をおこして一族と自害した際,甲州にいてそれを聞き藤戸川へ行き護身の刀で腹をつき入水したという。辞世の歌が「さなぎだに五つの障りありときく おやさへむくう罪いかにせむ」である。<参考文献>西岡虎之助『日本女性史考』
(西尾和美)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
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