上川原新田(読み)かみかわはらしんでん

日本歴史地名大系 「上川原新田」の解説

上川原新田
かみかわはらしんでん

[現在地名]静岡市上川原・広野ひろの・みずほ一―五丁目・桃園町ももぞのちよう下川原しもかわはら三丁目・同六丁目

下川原新田北西に位置し、東は丸子まりこ新田。分村などの経緯は下川原新田と同じ。初め幕府領、天明五年(一七八五)旗本日向領となり幕末に至る(「寛政重修諸家譜」など)。享保一六年(一七三一)の駿府代官所村高帳に上河原新田とみえ、高一一九石余。旧高旧領取調帳でも日向領一一九石余。安倍あべ川の川役五ヵ村の一つ(東海道宿村大概帳)。文化一一年(一八一四)丸子宿枝郷との入会争論では当村名主万右衛門も加わっており、その後の経緯は向敷地むこうしきじ村と同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報