上山郷(読み)かみやまごう

日本歴史地名大系 「上山郷」の解説

上山郷
かみやまごう

幡多郡東北部、四万十しまんと川上流の山間部に位置し、大部分は現大正町・十和とおわ村に属し、一部は現中村市および高岡郡窪川くぼかわ町に含まれる。当地域では四万十川が東から西に流れ、西部での嵌入蛇行が著しいが、これに北あるいは南の山間から大小支流が流入し、本流および支流の河成段丘上に小集落が点在する。

上山郷は長宗我部氏時代に在地支配単位として機能しており、山内氏入国後も引継がれるが江戸時代には上下に分れて、上山郷上分かみぶん・下分、上山上(分)村・上山下(分)村などともいわれた。上山郷の長宗我部検地は天正一六年(一五八八)正月の上山高山ハタ地検帳があり、その表紙に「高八冊ノ内 上山郷之内」と記載されているところから同年に実施されたとみられるが、慶長二年(一五九七)の地検帳しか伝わっていない。仕直し検地がなされ、天正の帳は廃棄されたと考えられるが、仕直しの理由は明らかでない。

地検帳にみえる上山郷はそのほとんどが「上山分」とあって、かつての地頭村落領主系譜をひく上山氏の所領であり、「何某扣」「何某作」として作職が明記されている。上山郷の中心地は田野々たのの村であった。「土佐州郡志」にみえる上山上かみやまかみ村の「本村」がこれにあたり、建久年中(一一九〇―九九)熊野別当湛増父子が来住したという伝えがあり、田那辺氏の開発に始まり、上山氏に受継がれたと考えられる。「南路志」に、茶つみ歌に「おらつらうこぎやななかでも上山殿のみいの子みいの子なかうすうりうがた」と歌うとあって、上山氏が在地勢力として台頭していたことを伝えている。地検帳には上山氏の居城はみえないが、田野々村のホノキ「トイ東□□」に「上ヤシキ」一反四〇代が記され、「加賀抱主居」とあるのが注意をひく。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の上山郷の言及

【大正[町]】より

…四万十(しまんと)川上流域に位置し,北西端は愛媛県に接する。当町から西の十和村にかけての一帯はかつて上山(かみやま)郷とよばれ,熊野別当田辺の湛増父子が来住し,その子孫田那辺氏が開発したといい,中心集落の田野々には同氏勧請という熊野神社,菩提寺であったという五松寺がある。また,西流する四万十川(仁井田川)と南流する檮原(ゆすはら)川が田野々で合流する。…

※「上山郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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