精選版 日本国語大辞典 「三B政策」の意味・読み・例文・類語
さんビー‐せいさく【三B政策】
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ベルリンBerlinからビュザンティウムByzantium(オスマン帝国の首都イスタンブール)を経て,バグダードBagdadを結ぶ鉄道敷設事業を基底とする,19世紀末から第1次世界大戦にいたるまでのドイツの近東政策を指す。これら3地点の頭文字をとって反ドイツ陣営で用いられた。ドイツ帝国では,統一後まもなくの間は宰相ビスマルクが西欧列強との摩擦をさけたいと考え,トルコでの鉄道経営には積極的でなかった。しかし,1888年に即位した皇帝ウィルヘルム2世は躍進めざましいドイツ資本主義を背景に,近東,とくにトルコでの利権の獲得に熱心で,同年にイスタンブールの対岸のハイダル・パシャからアンカラにいたるまでの鉄道敷設権を獲得した。98年になると,ウィルヘルム2世みずからイスタンブールのスルタンを訪問し,翌99年にコニヤからバグダードを経てバスラにいたる鉄道敷設権を得た。さらに1903年にバグダード鉄道会社を設立し,クウェートまでの鉄道敷設権およびその沿線の鉱山等の利権を加えた。こうしたドイツの東方進出はイギリスの三C政策やロシアの南下政策に対する脅威となり,1907年のイギリス,ロシアが三国協商に参加するきっかけとなった。ドイツは近東に対する影響力を強める一方,ロシアやイギリスと協定を結びペルシア湾への進出を放棄して調整をはかったが,第1次世界大戦にいたる時期の列強間の利害を調整するまでにはいたらなかった。
執筆者:義井 博
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第一次世界大戦前、ドイツの帝国主義的近東政策を象徴的に表現した語。三BとはベルリンBerlin、ビザンティウムByzantium(コンスタンティノープル、現イスタンブール)、バグダードBagdadの頭文字をとったもので、ドイツ本土―東南ヨーロッパ―バルカン―小アジア―ペルシア湾を結ぶドイツの近東進出策を示す。ドイツ帝国は、ビスマルクのもとではこの方面に「利害関係がない」とする態度を維持していたが、ビスマルク辞任(1890)後1890年代後半からオスマン帝国と親密な関係をつくり、ドイツ資本を中心とするバグダード鉄道をペルシア湾まで敷設する権利や、オスマン帝国陸軍を指導する権利などを得て、強力に陸路から直接近東に進出する政策を推進した。この三B政策は、バルカンへ向かって南下政策を進めるロシア、トルコ保全政策を維持していたイギリス、近東の既得権益に固執するフランスに脅威を及ぼし、列強の帝国主義競争を激化させて、第一次世界大戦の重要な原因の一つを形成した。
[岡部健彦]
《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...
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