三蹟(読み)サンセキ

デジタル大辞泉 「三蹟」の意味・読み・例文・類語

さん‐せき【三蹟/三跡】

平安中期三人の能書家。また、その筆跡小野道風藤原佐理ふじわらのすけまさ藤原行成ふじわらのゆきなり道風の筆跡を野跡やせき佐理のを佐跡させき行成のを権跡ごんせきという。三賢

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「三蹟」の意味・わかりやすい解説

三蹟 (さんせき)

平安中期の能書家,小野道風藤原佐理(すけまさ),藤原行成(ゆきなり)の3人,またその書をさす。中国や日本では名数が好まれたが,書道のうえでも平安初期の嵯峨天皇橘逸勢(はやなり),空海が〈三筆〉と称され,〈三蹟〉はこれに対応する。三蹟の語は厳密には野蹟(道風),佐蹟(佐理),権蹟(行成),すなわち3人の筆蹟をいう言葉である。この3人を組み合わせた起源については諸説あるが,藤原道長邸に後一条天皇が行幸したとき,道長がこの3人の書蹟を合わせて献上したことによると近衛家熙(いえひろ)が述べている(《槐記》)。三筆がまだ中国からの輸入のままの書風であったのに比し,三蹟は,日本化を示す時期の名家の代表であるといえる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三蹟」の意味・わかりやすい解説

三蹟
さんせき

平安時代の能書家、小野道風(おののとうふう)、藤原佐理(すけまさ)、藤原行成(ゆきなり)の3人を尊崇した呼称。三賢、三聖ともいい、空海、嵯峨(さが)天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)を「三筆」とよぶのと同式である。また、「野道風(やどうふう)筆跡」を縮めて野跡(やせき)、佐理を佐跡(させき)、行成を権跡(ごんせき)(極官が権大納言(ごんだいなごん))とそれぞれよぶが、三蹟の呼称の初見は江戸時代の貝原益軒(かいばらえきけん)編『和漢名数』である。ただし、道風・佐理・行成の3人の組合せは、すでに平安末期の藤原教長(のりなが)著『才葉抄(さいようしょう)』にみられる。貴重な名筆を今日に伝える三蹟の活躍により、和様書道は完成をみたといえよう。

[久保木彰一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「三蹟」の意味・わかりやすい解説

三蹟【さんせき】

平安初期の三筆に対し,中期の3人の能書家,小野道風藤原佐理(すけまさ)・藤原行成をいう。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「三蹟」の解説

三蹟
さんせき

平安中期,能書として尊重された小野道風(みちかぜ)・藤原佐理(すけまさ)・藤原行成(ゆきなり)の3人。唐風文化が隆盛であった平安初期の三筆(さんぴつ)の書が中国書法を基盤としたのに対し,三蹟の書は,国風文化がおこるなかで王羲之(おうぎし)の書法を消化して和様の書を完成させた。三蹟の名は,それぞれの筆跡を野蹟(やせき)・佐蹟(させき)・権蹟(ごんせき)(権大納言行成)とよぶことからの命名。三蹟の呼称を明記した最初の文献は,貝原益軒の「和漢名数」(1689刊)といわれる。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「三蹟」の解説

三蹟
さんせき

平安中期を代表する3人の能書家,小野道風 (とうふう) ・藤原佐理 (さり) ・藤原行成 (こうぜい) をいう
10世紀から11世紀初めの人。平安初期の雄渾な中国風書道に対して日本風の優雅な和様書道を大成した。筆跡を道風は野蹟,佐理は佐蹟,行成は権蹟と呼ぶ。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の三蹟の言及

【小野道風】より

…平安時代の名筆家。藤原佐理,藤原行成とともに〈三蹟〉の一人で,その筆跡を野蹟(やせき)と呼ぶ。小野葛絃(くずお)の子で篁(たかむら)の孫。…

※「三蹟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

靡き

1 なびくこと。なびくぐあい。2 指物さしものの一。さおの先端を細く作って風にしなうようにしたもの。...

靡きの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android