20世紀日本人名事典 「三角 寛」の解説
三角 寛
ミスミ カン
- 生年
- 明治36(1903)年7月2日
- 没年
- 昭和46(1971)年11月8日
- 出生地
- 大分県竹田市
- 本名
- 三浦 守(ミウラ マモル)
- 別名
- 僧名=釈 法幢
- 学歴〔年〕
- 日本大学法科卒
- 学位〔年〕
- 文学博士(東洋大学)〔昭和37年〕
- 経歴
- 小学校卒業後、仏門に入る。大正15年朝日新聞社に入り、社会部記者となったが、東京を騒がせた説教強盗事件を取材したのがきっかけで、山間を渡り歩いて暮らす山窩の研究を始めた。昭和5年「昭和妖婦伝」で文壇デビュー。8年に朝日新聞退社後は永井龍男のすすめで小説に転じ、「山窩血笑記」をはじめ、3部作「怪奇の山窩」「情炎の山窩」「純情の山窩」など、山窩を題材に多くの小説を書く。戦後は創作をやめ、23年に東京・池袋で映画館・人生坐(現・文芸坐)を開館し、ヨーロッパ名画を上映、洋画ファンに親しまれたが、同館の株主には吉川英治、徳川夢声らの文士がいた。この間、37年に東洋大学から「山窩族の社会の研究」で博士号を受ける。他の作品に「黒装束五人組」「慈悲心鳥」など。「三角寛サンカ選集」(全7巻 現代書館)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報