三見村(読み)さんみむら

日本歴史地名大系 「三見村」の解説

三見村
さんみむら

[現在地名]萩市三見 中山なかやまいち手水川ちようずがわ床並とこなみ吉広よしひろ畦田あぜた石丸いしまる駅通えきどおりの全域、および三見 蔵元くらもと明石あけいし飯井いい河内かわち大部分

現萩市の西端に位置し、西と南は日尾ひお(五二〇・九メートル)どうはら(四五七メートル)を境に三隅みすみ(現大津郡三隅町)に接し、北に三見浦がある。大部分が山地で、集落は三見川とその支流域に散在する。当島宰判所属。

文和元年(一三五二)八月一三日付の大井おおい八幡宮の宮座文書「御祭礼諸郷鼓頭出仕座配本帳事」に、右座の一番として三見郷が記される。

天正一六年(一五八八)一〇月三日付の上領源右衛門家文書(「閥閲録」所収)によれば、三見郷内に玉井たまい(のちの玉江浦)が含まれており、寛永三年(一六二六)の熊野帳では「三見郷山田共」とあり、のちの山田やまだ村が含まれていた。元禄一二年(一六九九)の郷帳で「三見村」となり、西端部の明石を分けてその枝村としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報