デジタル大辞泉 「三笠」の意味・読み・例文・類語
みかさ【三笠】[地名・戦艦]
旧日本海軍の戦艦。日露戦争の日本海海戦で、連合艦隊旗艦として活躍。排水量約1万5000トン。現在は横須賀に固定保存されている。
「三笠山」の略。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
北海道中央部,空知地方南部の市。1957年市制。人口1万0221(2010)。夕張山地西部に位置し,石狩川の支流幾春別(いくしゆんべつ)川上・中流域を占め,西は岩見沢市に接する。中心市街は幾春別川と幌内(ほろない)川合流点の河岸段丘上に広がる。石狩炭田発祥の地で,1879年官営幌内炭鉱が開坑,82年小樽港へ石炭を運ぶため手宮~幌内間に幌内鉄道が開通した。同年空知集治監が設置され,囚人が採炭作業に使われた。その後,幾春別,奔別(ほんべつ),唐松(とうまつ),弥生などの炭鉱が開坑し,第2次大戦後の最盛期には出炭量290万tに及んだが,55年以降の炭鉱合理化,爆発事故により閉山し,最後の幌内炭鉱も89年閉山した。87年道央自動車道が開通し,木工,食品工場のほか電気機器工場も進出している。幾春別川下流の平野ではタマネギ,メロン栽培が盛んである。上流域にはアンモナイト化石が多く,76年大型肉食爬虫類のエゾミカサリュウ化石(天)も発掘された。人工湖の桂沢湖は富良野芦別道立自然公園に含まれ,湖畔に桂沢温泉(単純硫黄泉,13℃)がある。88年には観光農場〈サンファーム三笠〉(現在は道の駅三笠のうち)を開園するなど,観光開発も進めている。道央自動車道のインターチェンジがある。
執筆者:山下 克彦
日露戦争において,連合艦隊旗艦として活躍した日本の軍艦。1905年5月27~28日の日本海海戦において,ロシアのバルチック艦隊を破り,司令長官東郷平八郎の名とともに世界的に有名になった。イギリスのビッカーズ社で建造され,1900年に進水,02年に完成した。常備排水量1万5140トン,全長122m,30cm主砲4門,15cm副砲14門を装備し,速力18ノットであり,当時としては世界最大最強の戦艦であった。
1921年のワシントン軍縮条約の結果,廃艦になるところであったが,国民的記念艦として横須賀港に永久保存されることになり,26年11月に記念艦〈三笠〉として落成した。第2次世界大戦後アメリカ軍に接収され,兵装の撤去,上部構造の解体が行われ,荒廃のままに放置されたが,56年に再建運動が興り,61年5月27日に記念艦〈三笠〉として復活した。
執筆者:本多 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
日露戦争における連合艦隊の旗艦。東郷平八郎司令長官が座乗して黄海海戦(1904)、日本海海戦(1905)の先頭艦として戦った。1902年イギリス、ビッカーズ造船所で完工。常備排水量1万5140トン、速力18ノット、30センチ主砲4門、15センチ副砲14門を備え、当時世界第一級の戦艦であった。日本海海戦の大勝利により世界にその名を知られるようになり、ワシントン軍縮条約で戦艦の保有量が制限された際にも、三笠は制限外の艦として保全が認められた。1926年(大正15)神奈川県横須賀(よこすか)に記念艦として永久保存されることになり、第二次世界大戦後は一時ダンスホールになるなどの変転もあったが、61年(昭和36)復原。現在は防衛省の所管、三笠保存会運営で一般に公開されている。
[前田哲男]
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新